患者さんの不安の払拭
医療者のつとめとして、患者さんの不安は、できるだけ払拭してあげるように、誠心誠意対応してあげるべきだと思います。
ただ、「患者さんの不安の払拭」ということが、錦の御旗になって、不可侵領域になると、医療としての正しさが揺らいでしまうことがあります。
もう20年近く前ですが、当時の外勤先で、肺がん根治術後、しばらく経過していた方でに毎月CTを撮って欲しいという方の診察にあたりました。カルテをさかのぼると、2年以上にわたって、術後変化のみ、著変なしのCTが繰り返されていました。
医学的には意味はなく、毎月でなくてもいいんじゃないですか?とお話した(当然、私以外の医師もそうお話されてきたのだと思います)ところ、「またお前もそういうか」という表情で、「不安だから、やって欲しい」ということを、おそらく、何十回と繰り返されたであろう文脈でお話されました。
リスクは高くないとは言え放射線被曝のことも、医学的な意味合いが低いことも、その方には関係なく。
最終的に、もし、そうやってがんが手遅れになったら、責任とれるのか、的な話になります。そうなると、先生も不安でしょ?だから、先生は、CTをオーダーすればそれでいいんだ、的な話でした。
混んでいる外来で、ある意味では筋金入りのその方と、バイト先で自分のリスクをかけて延々とやりあうのか、わかりました、といってポチッとクリックするのか。
当時の私は、後者を結局選択しましたが、釈然としない気持ちがしたものです。今なら、どうしますかね。
医師と患者さんの関係は、やはり難しい。
患者満足と医療の正しさ、医師のコミュニケーション能力や、患者さんの様々な背景。
色々な要素が絡み合うからかも知れません。
風邪で抗生物質が欲しい、ウイルスには効きませんよ、インフルエンザで、検査して欲しい、しなくて良い、
治癒証明書を書いて欲しい、書く必要性はない的な議論も、ちょこちょこ診察室では起こります。
何でだろうな、と思うのは、不安解消の方法を、患者さんが指定してくることが原因じゃないかと
思うようになりました。一昔前は、その情報ソースは新聞、テレビ、ラジオ、雑誌ぐらいしかなかったのが
今は…。だから、医師からすれば「え!?」という内容が患者さんから一本釣りのように提示され、
混乱するのだと思います。
「この心の不安、解消してくれないと気が済まない。」という気持ちにお応えすることは
大事なことだと思うけれども、その不安の解消法については、医師ともよく相談して欲しい。
CT検査を受けることが目的化してしまうと、態度は硬直化し、関係構築が難しくなります。
再発の不安にどう向き合うのかという方法を、医師と患者さんで話し合って合意できれば
もう少し良い方法はあるように思います。
これからの課題ですかね。医師にとっても、患者さんにとっても。