病棟薬剤師がバイタルサインを採る必然性と蓋然性 〜左脳でなく右脳で見よう!〜

薬剤師とバイタルサインの意義?


薬剤師とバイタルサインの話をしはじめて、おおかた2年が経過しました。この間、色々なコトがありましたが最近は、「薬局薬剤師がバイタルサインをとること」については、在宅療養支援の現場から始まり、昨今では、薬局店頭でも、その有用性についてはコンセンサスが得られ始めているように思います。

 

余談ですが、古来、薬局店頭では、いろんな機器を置いて測定をしているところは少なくありませんでした。うちの薬局でも、30年ぐらい前は、育児相談会を良く開いていて、そこには、赤ちゃん用の体重計(ベビースケール)をおき、赤ちゃんの体重を量り、標準的な体重増加曲線(育児書に普通にのっている)と照らし合わせて何をのむとか、食べるとか、そういうことをしていました。また、この15年ぐらいは、結構高機能な血圧計や体脂肪計などを薬局(とくにドラッグストア系では)において、健康相談会のようなものを開催し、食生活や運動習慣のお話や、それにまつわる商品(サプリメントを含む)を販売ということはあったようです。

 

それはさておき。

 

この1年ぐらい、言われているのが、「在宅では、いいんでしょうけど、病棟は、いらんでしょう。」というお話です。

「看護師さんがあれだけ頻繁に測定しているのだから」

「そのデータをきちんと見ていけば十分」

「そもそも、病棟薬剤師は配置人数も少なく、忙しい」

「バイタルや諸検査は、カルテで情報共有できる」

というものです。もちろん、その通り。その通りでしょう。

 

しかし、僕は、あえて、違う、と言いたい。

 

今回は、そのことを左脳と右脳で見た見方で、まとめます。

 


病棟薬剤師とバイタルサイン(左脳で見た場合)

薬剤師にとってのバイタルサイン
薬剤師にとってのバイタルサイン

薬剤師にとって、バイタルサインを採る目的は

  1. 見守り機能への参画
  2. 医薬品の適正使用と医療安全の確保

だと思っています。

 

 

このニーズは、患者さんの状態や療養されている場所によって、当然のことながらことなります。

比率も絶対値も。

 

で、先ほどのお話ですが、おそらく薬剤師さんの多くは、バイタルサインを採る目的の1.を

メインとしてお考えになっているように感じます。(そうでないかたも、いらっしゃいますよ!)

で、1,の機能は、当然ながら、たとえばICUなんて、1時間おきに看護師さんが記録してくれているわけですからそこに薬剤師がトコトコいって測る必要はありません。医師も、測らないでしょう。

看護師さんがつけてくれた熱計表をみるということです。

 

しかし、2.について見ればどうでしょうか? 

医薬品の適正使用と医療安全の確保の観点から、薬剤師がその患者をレビューするということは薬剤師が果たすべき極めて重要な職能です。そして、その根拠とすべきデータは、患者の客観的な検査データであり、その一つとして、バイタルサインがあるということです。

 

で、そのバイタルサインを薬剤師が採ることの必然性はどうかを考えるわけです。このことについては、以下の2点を挙げたいと思います。

 

①借り物のデータで話をするという危うさ

2.について、医師と議論する。いわば、処方設計へしっかりと関わっていくわけですが

その根拠を自分で押さえていない、というのは極めて心許ないです。実は、血液検査一つとっても、採血がしづらい人であれば、途中で溶血している可能性があります。そのときの手応えをもとに、「あのとりやすさで、Kが上がっているとしたら、ホンマやな」みたいなことで次の治療方針が決まります。

 

たとえば、日常の定期採血では気にしなくても、本当に自分が重大な決断をしたいときには医師の多くは、自分でデータをとるのではないかと思います。

 

確率的には極めて低いですが、

「先生、あれ、○○さんのデータと書き間違えてました、てへッ^^;」

 みたいなことはないとは限らない。極論ですが。

 

②自分で臨床的な決断を下すときの作法

医療人が、目の前の患者について、重要な決断を下すとき、頭の中でどのような情報処理が行われているかを考えると、患者の基礎的データ、バックグラウンドデータをもとに、患者の体にふれ、様々な状況を勘案しながら、データが頭のなかでの仮説に合致しているかどうか常に検証してストーリーを組み立てていくと思うのです。

 

講演でも話すのですが、バイタルサインのデータ一つで、○○!という状態がわかるものではありません。

 

たとえば、気管支炎だと、元気がない、食欲がない、微熱、あたりから始まって、咽頭部が赤い、頸部のリンパ節が腫れている、脈拍がやや早い、胸部の聴診で、湿性ラ音がする、レントゲンで陰影がある、採血で炎症所見が出る…という風になりますが、これらをとりながら、医師は自分の頭の中での病態が組み立てられ、治療方針を決めていけると思うのです。

 

もちろん、病気の診断や治療には、一定のアルゴリズムがありますから、各種データを打ち込めば、診断名や治療法がでるというような自動診断システムは、今のITの仕組みを使えば十二分に可能でしょう。しかし、爆発的にそういったものが広まらない、ひいては医師不要論がこれっぽっちもでないことを考えれば、この患者の周りを自分でうろうろするということが大切ではないかと思います。

 

つまり、見守り機能としての測定の意義は、ほとんどありません。急性期病院であれば、なおさら。しかし、医薬品の適正使用や医療安全の確保の立場から、薬剤師dicisionを医師をはじめとする医療チームに伝え、処方内容(=治療方針)にきちんと反映させるためには、定期的もしくは、決定を下す際には自分自身で採集しておくことが必要だと思います。

 

だから、毎日測る必要はなくて、例えば週に1回とか。タイミングとしては、カンファレンス前や、NST回診やICT回診のように、医薬品適正使用や医療安全の確保を目的とした薬剤部長回診(!?)の際というイメージです。ちなみに、教授回診やカンファレンスの際、看護師さんが採ったデータで教授にプレゼンするのは、やっぱり勇気がいりました。信用してないわけじゃないんですが、やっぱり、自分で採った、気合いと自信のみなぎるデータじゃないと、戦えないっす^^; 

 

 


病棟薬剤師とバイタルサイン(右脳で見た場合)


次に、論理ではなく、感情で考えてみましょう。

 

よく、「薬剤師を主人公にしたドラマがないですね」という話があります。病院でも、医師や看護師を主人公にしたドラマはたくさんありますが、薬剤師はない。

 

それは、何故か。

 

ドラマチックな展開になるには、決断すること、現場にいることが必要だと思うのです。

 

薬剤師は、今までの業務の中で、患者の治療方針にかかわる決断をする立ち位置には立ちづらかったと言えます。だから、決断しない(と世間から見える)人にスポットライトをあてても、ドラマチックにはなりません。あと、現場にいる(患者のそばにいる)のでなければ、一般(視聴者)の方は認識しませんからそもそも共感が得られにくいわけです。

 

別にドラマの主人公になることが目的ではありませんが、たとえば、こういう切り口で見てみるとどうでしょう?

 

国民的な大ヒット刑事ドラマの「踊る大捜査線」で、有名な台詞がありましたよね。

 

「事件は現場で起こっているんだ!」

 

まさに、あれに尽きます。現場で、汗と泥にまみれる主人公と、その対立軸にある本庁のエリート。このわかりやすい構図に加え、主人公は、最前線でいろんなしがらみにまみれながら決断するわけです。レインボーブリッジ封鎖できませんとか(言うたかどうかは、知りませんが。見てないのでw)。

 

そこに、圧倒的な共感があつまり、ドラマチックな展開になるから、ドラマになるのではないかと。

 

薬剤師は兵站というたとえを聞きました。言い得て妙だと思います。でも、折に触れて、前線に行かなくては、なりません。後方支援だけでは、前線のみんなと、ましてや、前線の対象者と一体感を持つことはできないと思います。

 

事件はベッドサイドで起こっているんだ!

 

患者の症例検討でも、カンファレンスルームや詰め所で、うだうだ言っていてもわからないことがあります。その時に、自分の目と手で、対象物を見るということが極めて重要だと思うのです。

 

こういうことがありました。

 

外科の手術後、微熱がつづく。白血球もCRPも下がりきらない。レントゲンも異常ない。なんだろう?なんだろう?私が3年目のころでした。カンファに出しても、みんな、うんうん、考えるけれど、抗生剤変えてみるか?血液培養だしてみたか、感受性は?みたいな感じでした。

 

そのとき、副部長の先生が、カンファのあとに、「狭間君、一緒にいっぺん見にいこう」といって一緒に行きました。一通り診察しましたが、やっぱり、異常は見あたらない。

 

すると、その先生が「狭間君、創はどうや?」と。

 

当時、毎日、イソジンで消毒しガーゼ交換するのは、外科医の仕事でした。私もしていましたが、その患者さんはたまたま、看護師さんや他の研修医の先生が交換してくれていました。言うたら、サボってたわけです。

 

創からどばっと

「何もないと思いますけど」といいながら、あけてびっくり。自分が縫合した創部が、赤く腫れていました。いわゆるsurgical sight infectionでした。

 

副部長の先生は、患者さんの手前、僕の方をちらっと見て、無言で包帯交換カートから抜糸セットを持ち出して糸を1-2本切り、コッヘルで創部をぐっと開けると、どばっと、膿が出ました。

 

患者さんに「もう心配いらん。あとは、狭間先生がちゃんとしてくれるからね。」と言い残して、さっさっと去って行かれました。これは、恥ずかしかったです。痛恨というか。もちろん、その後、熱は下がりました。

 

やっぱり、医療人は、患者を自分でみないといかんと、思ったきっかけの一つです。

 

それから10年ぐらいたって、大阪の下町の外来で、どうも単なる風邪ではないような子どもが来ました。

 

で、熱は?と看護師さんに聞くと、「ありませーん。6度2分です」と。

でも、診察して、体にさわると、どうも、おかしい。もっとあるような感じがする。つまり、熱いんですね。

 

で、ははーんとおもいあたったのが、そのクリニックでは、子どもは騒ぐので、鼓膜音で測定していたんですね。あれ、結構、ぶれるんです。で、もう一回、自分で体温計(腋窩型)ではかると、8度5分でした。

 

やっぱり、自分でデータは採らないといけないと思いました。

 


ジャーナリズムかニュース系エンターテイメントか

10時頃からやっているニュース番組。あの司会の方は、ニュースキャスターであってジャーナリストではありません。他人が拾ってきた情報をもとに、あーだこーだというのは、いわばエンターテイメントでニュースバラエティとしても成り立たせることはできます。まぁ、テレビ版井戸端会議みたいな。

 

その一方で、現場にいって、空気を吸ってにおいをかいで、五感、時に六感を使って感じたことを自分の言葉で表現する。これがジャーナリズムです。この両者は全然違います。

 

「薬剤師さんは、患者のうんこをつかめるか!」と言った、ドクターがいらっしゃいます。

 

表現には賛否あるでしょうか、まさに、その感覚。薬剤師が医療人としてやっていくのであれば(制度的にはそうなっていると理解していますが)ニュースキャスターでなく、ジャーナリストになって欲しい。そのためには、「新聞によりますと…」ってやってたらダメだと思うんです。

次世代の薬剤師像


2010年の日本医療薬学会の教育講演で、次世代の薬剤師像について、というお題でお話させていただきました。これは指定演題で、最初はなんて、無茶な、と思いましたが、つらつら考えている時に私の中に浮かんできたのは

 

「薬学的専門性に基づき決断する医療人」

 

ということでした。

 

薬剤師は、自らの専門性をもって、決断し、患者によりよい治療を提供していく(医療安全の確保と医薬品の適正使用の立場から)というミッションを持つはずです。

 

その時に、薬剤師の決断が、医師や看護師の決断と、時と場合によっては対立するかも知れない。これは、カンファレンスで徹底的に話し合うことになります。

 

そこで、丁々発止のやりとりがある中で、薬剤師としての専門性に基づく決断が本当に間違っていない、患者のためになるという実感をもって、徹底的に討論することが、今はほとんどないのではないかと思うわけです。

 

医師にちょっと言われると引いてしまう。というより、思っていることもあまり言わない、言えない。その根底には、自分でデータをとっていない、触っていないという本能的な負い目(?)があるのでは、と思います。

 

かかりつけ薬剤師を自認するのであるならば、患者のことは、誰よりも良く知っておいて欲しい。そうすると、議論するときに腹に力が入ります。

 

たとえば、ちょっとテオフィリンがoverdoseじゃないかと思う人がいるとする。でも、医師は、ま、いいんじゃない? 呼吸状態おちついてるし、みたいな反応だとしましょう。自分でデータをとってないと、あ、そうですか、みたいになりません?

 

でも、自分でデータをとりながら、頭の中で病態を構築し理解していると、反応は違ってくるかもです。

 

「先生、ご存じですか!?これが、この2週間の脈拍の変化です!」とざらっと、見せて上げて欲しい。

 

「だから、絶対に、テオフィリンの量を、下げたい。呼吸音も僕が聞く限り、大丈夫。SpO2も保たれている、呼吸運動も回数もおかしくない。この方の腎機能、体表面積からすると、やっぱり、400mgは多すぎるんですっ」と鬼気迫って欲しいわけです。

 

で、その気迫におされるように、処方量が調整される。後日、テオフィリン濃度を見てみたら、やっぱり高かった。患者本人は、「実は、ちょっと、動悸がしてたんですよね。今はマシになったけど。」みたいな。

 

うーん。ドラマチック。

 

まぁ、ドラマはどっちでもいいんですが、薬剤師がバイタルサインをとることの蓋然性を高くするにはチーム医療で同じチームメンバーとして働く場合の光景を目に浮かべてみると良いのかも知れません。

 

熱い医療、良い医療がやりたい


僕は、熱い医療がやりたいんです。そして何より、良い医療がやりたい。

しかし、薬剤師の専門性が活かせていないと自分自身の今の診療スタイルで痛感しています。

 

僕が、薬剤師にバイタルサインを採って欲しいと思う理由は突き詰めていくと、どうも、右脳にあるということが

今回のノートをまとめていく上でわかりました。

 

ちゃんちゃん、と。

 

 

また、飲み会で(ダイエット中ですけど)、熱く語るテーマになりそうですね〜^^