2023年も終わろうとしています。色々なことがありました。個人的には、大きな変化がある1年でした。
薬局では、新店舗を開設しましたが、外来・在宅・OTCという3つの分野で、薬剤師と薬局パートナーが連携して、お薬を渡すまでではなく渡した後までフォローする業務に取り組むということが、社内に浸透してきた気がします。
病院では、地域連携病院としてのあり方を考えて試行錯誤してきたものが、徐々に形になってきたし、スタッフの方向性も整ってきた感じがしました。
日本在宅薬学会では、リアルでの開催を神戸で開催できましたし、前夜祭も久しぶりにできました。
そして、何より調剤業務の一部外部委託。皆様のおかげで、特区での検証について見通しが付きそうです。
こんな変化がある中で、色々なところで、色々な方とご飯を食べてきました。どんな1年だったか。その月の会食で振り返ってみたいと思います。
私は1995年に大阪大学医学部を卒業し、第一外科(当時)に入局。インテリジェントホスピタルというテーマで、1993年に大阪・中之島地区から吹田地区に移転した新しい阪大病院で1年間の研修医生活を送りました。
それから、公立病院を2つ経て、消化器一般外科・呼吸器外科の診療に従事したあと、大学院生として2000年に大学に戻り、臨床応用が始まった肺移植に取り組んでいた医局で色々な経験を積ませて頂きました。
その後、色々あって医局を離れ、実家の薬局運営などに従事していますが、医師としての活動も(細々と)続けていました。
基本的には、週に1回の外来バイトと、健康診断・レントゲン読影のバイト、さらには、当時専門にしていた、内視鏡下の呼吸器外科手術の手伝いなどに行っていました。
2004年に社長になって、「調剤薬局」からの脱却を目指してきたのですが、大変なことが多かったです。
もちろん、大変じゃない仕事なんて、無いとは思いますが、でも、やっぱり大変だったよなと思います。
①患者さんに来て頂くだけでなく、こちらからも行く(在宅やオンライン)
②薬を渡すまでではなく、飲んだあとまでフォローし、医師にフィードバックする
③保険調剤や居宅療養管理指導だけでなく、OTCなども積極的に取り組む
という3つの要件を意識してやってきました。
増大する医療ニーズに増加しない医師でどうやって対応していくのか、大手企業のみに薬局は本当になっていくのか、そもそも超高齢社会で永続的な社会保障制度をどう作るのか、という問題を、医師、薬局経営者、国民として捉えた時に、薬局や薬剤師という大きな社会資源のあり方を変えることが大切だと考え、この18年余りやってきたのだと思います。この大きなストーリー全体の中では、この3つの考え方は正しいと今も確信を持っていますが、ただ、単年度での採算性や収益性、ビジネスとしての優秀さという部分的な観点からは、これら3つの考え方は非合理的だと思います。
今、多くの薬局経営者や薬剤師は、現在の業態や業務内容について、少なからずわだかまりや違和感を感じながら、経済合理性の観点から、それに色々な思いを持ちながら、また、場合によっては自分の気持ちを押し殺しながら、毎日を送っている気がします。
2022年もあと数時間という段階で、書き始めています。令和4年、2022年はどんな1年だったか。振り返って見ると、本当に色々とあった1年だったと思います。Gmailのカレンダーを見返し、iPhoneで撮りためた写真を見ていると、1つ1つのことのボリュームも多すぎて、とても数時間ではまとめきれない感じです。
薬局では、対物業務の効率化と対人業務の充実をさらに深掘りしながら、経営的にもよりよい方向が見えつつある、そんな1年でした。スタッフが一丸となってやって下さったことに感謝です。
また、病院では、1年半ほど前から取り組んで来た経営品質向上に向けた取組が「デザイン認証」という形でまとまりました。コロナで大変な中ですが、これまたスタッフが力を合わせて乗り切っていこうという雰囲気が固まってきたことは、有り難かったと思います。
さらに、個人としては、厚生労働省、文部科学省、内閣府の会議に、参加する機会を得た1年でした。内容についてはまだまだ議論があるでしょうが、薬剤師、薬学教育、薬局のあり方について、自分の考えを述べる機会をいただけたことはありがたいことだと思います。
しかし、やはり何と言っても、大きかったのは入院をして手術をすることになったことだと思います。
ファルメディコ株式会社とは、私の母が1976年に創業した「くすりの相談 ハザマ薬局」という小さな薬局を出発点として、2004年に株式会社として現在の名称で組織改編を行ったものです。
長く、相談薬局を個人商店として運営してきたハザマ薬局が、調剤業務を始めるにあたって、前身の有限会社としたのが1998年ですから。それから考えると、23年目を迎えた会社ということにまります。
来ていただくタイプの薬局から、こちらからも出向く薬局。渡すまでの薬局から、のんだ後までの薬局、さらには、調剤だけの薬局から、OTCなどにも積極的な薬局と、どちらかといえば逆張りをテーマに薬局や薬剤師に取り組んできました。こういった時には、トップダウンというか、朝令暮改上等で、社長のリーダーシップで乗り切る力が必要だと思いました。だから、というわけではありませんが、一人で、誰の意見も聞かず(!?)、頼るべきは自分の専門性と倫理観しか無いと考えて活動してきました。
15年あまりが経過して、在宅に取り組むことは薬局に求められることとなり、服用後のフォローは法律で定まり、調剤以外にどういった機能を果たすかが重要になってくるという、以前とは状況は一変しています。そういった意味では、当社で、社長が独断専行で行う時期は超えてきたのだと思います。
瞬発力はあるし、独創的なことはやりやすいかも知れませんが、これは私の限界が企業の限界になってしまいますので、やはり次のリーダーを育成することが必要です。本当にありがたいことに、そういったフェーズに、当社もたどり着くことができたように思います。
そんな私の思いを汲んでいただいたのか、昨年、社長塾をやりたいという提案をいただき、二つ返事でお願いしました。そのときのメンバーが、1年経って、文字通り中核を担い始めてくれています。今年は、その経験も踏まえて第二期がスタートし、昨日がその最終回でした。
私が、医師になったのは1995年ですから、もう25年以上前のことになります。当時は臨床研修制度もなく、いきなり大学病院での泊まり込みの生活が始まって1年が終わり、その後、出張病院での研修医生活と息つく暇もありませんでした。
そんな中で、30過ぎぐらいの時に思ったのは、「鉄は熱いうちに打て」「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という先達の言葉は、その通りだなということでした。
鉄は熱いうちに打て、というのは、(当時の)人生のほとんどをかけて、やっと医師になれた!という感動が新しいとき、つまり熱いうちに、どれだけの経験をしておくかが、その後の医師としての人生を左右すると思いました。
また、医師に成り立ての若い時には、迷ったらしんどいほう、迷ったら忙しい方と思って行動していました。時には「なんでこんなことになるんだろう」と思うこともありましたが、このころのある意味ではエグい経験が、自分の基礎になりました。
ハザマ薬局の薬剤師にも、是非、そういう経験をして欲しいと思い、1年間の病院実習を計画したのはもう4年ぐらい前でしょうか。その第一例の先生が、1年間の研修を終えました。
大学院生として、医局に帰ったのが2000年。今では、駄目なんでしょうけど、1年間、大学院生として大学にお金を払いながら、病棟担当医として臨床に没頭していました。1年間、今や母教室の教授となった先生と病棟係をこなして、いよいよ研究生活が始まったのが6月。
キミのテーマは、移植だ、と言われて、しかもウイルスをやれということで、やったことのない電気泳動のゲル作りから始めていました。ブタの血管内皮細胞を培養して、時々コンタミを起こしてひんしゅく買って、的な毎日でした。
そんな朝、医局に行くと、当時17インチの巨大な三菱ダイアモンドトロンをくっつけたPower Mac使いの医局の秘書さんが、とんでもない形相で画面を見つめていました。
今日は、私どもの薬局で、頑張ってくれていた2名の薬剤師さんの結婚式にお呼ばれしてきました。
もちろん、昨日決まったものではなく、1年以上前から準備に準備を重ねたもので、若い二人もご家族も、皆さん悩みに悩まれたと思いますが、ウェブ参加(お弁当付き)も可能にして、会場は広めに用意され、感染対策に配慮された(業界基準も作られていて、それに準拠されているそうです)結婚披露パーティでした。
新婦は、学生の時に、私の講義を聞いたのがきっかけで、学生時代から当社の勉強会に参加され、晴れて、国家試験に合格後、入社。新入社員歓迎会でのあいさつでは「やっと、念願のハザマ薬局の社員になれました!」とおっしゃっていただいのが、印象的でした。
今日の午前中、外来の終わり頃に、私の大学時代からの同級生で、現在は米国テンプル大学外科学講座教授の重村周文先生が、私を尋ねてきてくれました。
重村先生はラグビー部で、イケメンの好漢。いつもスマートで、当時珍しかったAudi(たしか、SAABでも来てた?)で颯爽と大学に通っていました。
ラグビー部でも活躍した彼は、私と同じ第一外科に入局。当時20名を数えた新入局員の中でも、仕事ができて、イケメンで、優しいという非の打ち所なさで、絶大な人気を博していました。
消化器一般外科の修練のあと、大阪急性期総合医療センター(当時は大阪府立病院)の心臓血管外科に進みました。
どんな組織でも、スタッフに、組織が目指すべき方向性や考え方を伝えることは極めて重要です。
朝礼やミーティングなど、オフィシャルな場で伝えることも大事ですし、京セラの稲盛和夫さんがおっしゃっているように「コンパ」を開いて、食事やお酒を交えて、コミュニケーションをとりながら、伝えるということも大事です。
私も、社長になって15年ぐらいが経ちますが、自分の薬局では、何度も何度もこれを繰り返してきましたし、日本在宅薬学会でも、リアルであって、懇親会をして、ということを繰り返してきました。しかし、それがかなわなくなりました。
薬局は、7つのお店がありますし、日本在宅薬学会は会員さんが全国にいらっしゃいます。ですので、比較的すんなりと、オンラインを使うようになりました。薬局内での会議や勉強会、学会の研修会やセミナーは、全てオンラインとなり、今まで以上の意思疎通も可能になっていると思うこともよくあります。
2023年も終わろうとしています。色々なことがありました。個人的には、大きな変化がある1年でした。
薬局では、新店舗を開設しましたが、外来・在宅・OTCという3つの分野で、薬剤師と薬局パートナーが連携して、お薬を渡すまでではなく渡した後までフォローする業務に取り組むということが、社内に浸透してきた気がします。
病院では、地域連携病院としてのあり方を考えて試行錯誤してきたものが、徐々に形になってきたし、スタッフの方向性も整ってきた感じがしました。
日本在宅薬学会では、リアルでの開催を神戸で開催できましたし、前夜祭も久しぶりにできました。
そして、何より調剤業務の一部外部委託。皆様のおかげで、特区での検証について見通しが付きそうです。
こんな変化がある中で、色々なところで、色々な方とご飯を食べてきました。どんな1年だったか。その月の会食で振り返ってみたいと思います。
私は1995年に大阪大学医学部を卒業し、第一外科(当時)に入局。インテリジェントホスピタルというテーマで、1993年に大阪・中之島地区から吹田地区に移転した新しい阪大病院で1年間の研修医生活を送りました。
それから、公立病院を2つ経て、消化器一般外科・呼吸器外科の診療に従事したあと、大学院生として2000年に大学に戻り、臨床応用が始まった肺移植に取り組んでいた医局で色々な経験を積ませて頂きました。
その後、色々あって医局を離れ、実家の薬局運営などに従事していますが、医師としての活動も(細々と)続けていました。
基本的には、週に1回の外来バイトと、健康診断・レントゲン読影のバイト、さらには、当時専門にしていた、内視鏡下の呼吸器外科手術の手伝いなどに行っていました。
2004年に社長になって、「調剤薬局」からの脱却を目指してきたのですが、大変なことが多かったです。
もちろん、大変じゃない仕事なんて、無いとは思いますが、でも、やっぱり大変だったよなと思います。
①患者さんに来て頂くだけでなく、こちらからも行く(在宅やオンライン)
②薬を渡すまでではなく、飲んだあとまでフォローし、医師にフィードバックする
③保険調剤や居宅療養管理指導だけでなく、OTCなども積極的に取り組む
という3つの要件を意識してやってきました。
増大する医療ニーズに増加しない医師でどうやって対応していくのか、大手企業のみに薬局は本当になっていくのか、そもそも超高齢社会で永続的な社会保障制度をどう作るのか、という問題を、医師、薬局経営者、国民として捉えた時に、薬局や薬剤師という大きな社会資源のあり方を変えることが大切だと考え、この18年余りやってきたのだと思います。この大きなストーリー全体の中では、この3つの考え方は正しいと今も確信を持っていますが、ただ、単年度での採算性や収益性、ビジネスとしての優秀さという部分的な観点からは、これら3つの考え方は非合理的だと思います。
今、多くの薬局経営者や薬剤師は、現在の業態や業務内容について、少なからずわだかまりや違和感を感じながら、経済合理性の観点から、それに色々な思いを持ちながら、また、場合によっては自分の気持ちを押し殺しながら、毎日を送っている気がします。
2022年もあと数時間という段階で、書き始めています。令和4年、2022年はどんな1年だったか。振り返って見ると、本当に色々とあった1年だったと思います。Gmailのカレンダーを見返し、iPhoneで撮りためた写真を見ていると、1つ1つのことのボリュームも多すぎて、とても数時間ではまとめきれない感じです。
薬局では、対物業務の効率化と対人業務の充実をさらに深掘りしながら、経営的にもよりよい方向が見えつつある、そんな1年でした。スタッフが一丸となってやって下さったことに感謝です。
また、病院では、1年半ほど前から取り組んで来た経営品質向上に向けた取組が「デザイン認証」という形でまとまりました。コロナで大変な中ですが、これまたスタッフが力を合わせて乗り切っていこうという雰囲気が固まってきたことは、有り難かったと思います。
さらに、個人としては、厚生労働省、文部科学省、内閣府の会議に、参加する機会を得た1年でした。内容についてはまだまだ議論があるでしょうが、薬剤師、薬学教育、薬局のあり方について、自分の考えを述べる機会をいただけたことはありがたいことだと思います。
しかし、やはり何と言っても、大きかったのは入院をして手術をすることになったことだと思います。
ファルメディコ株式会社とは、私の母が1976年に創業した「くすりの相談 ハザマ薬局」という小さな薬局を出発点として、2004年に株式会社として現在の名称で組織改編を行ったものです。
長く、相談薬局を個人商店として運営してきたハザマ薬局が、調剤業務を始めるにあたって、前身の有限会社としたのが1998年ですから。それから考えると、23年目を迎えた会社ということにまります。
来ていただくタイプの薬局から、こちらからも出向く薬局。渡すまでの薬局から、のんだ後までの薬局、さらには、調剤だけの薬局から、OTCなどにも積極的な薬局と、どちらかといえば逆張りをテーマに薬局や薬剤師に取り組んできました。こういった時には、トップダウンというか、朝令暮改上等で、社長のリーダーシップで乗り切る力が必要だと思いました。だから、というわけではありませんが、一人で、誰の意見も聞かず(!?)、頼るべきは自分の専門性と倫理観しか無いと考えて活動してきました。
15年あまりが経過して、在宅に取り組むことは薬局に求められることとなり、服用後のフォローは法律で定まり、調剤以外にどういった機能を果たすかが重要になってくるという、以前とは状況は一変しています。そういった意味では、当社で、社長が独断専行で行う時期は超えてきたのだと思います。
瞬発力はあるし、独創的なことはやりやすいかも知れませんが、これは私の限界が企業の限界になってしまいますので、やはり次のリーダーを育成することが必要です。本当にありがたいことに、そういったフェーズに、当社もたどり着くことができたように思います。
そんな私の思いを汲んでいただいたのか、昨年、社長塾をやりたいという提案をいただき、二つ返事でお願いしました。そのときのメンバーが、1年経って、文字通り中核を担い始めてくれています。今年は、その経験も踏まえて第二期がスタートし、昨日がその最終回でした。
私が、医師になったのは1995年ですから、もう25年以上前のことになります。当時は臨床研修制度もなく、いきなり大学病院での泊まり込みの生活が始まって1年が終わり、その後、出張病院での研修医生活と息つく暇もありませんでした。
そんな中で、30過ぎぐらいの時に思ったのは、「鉄は熱いうちに打て」「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という先達の言葉は、その通りだなということでした。
鉄は熱いうちに打て、というのは、(当時の)人生のほとんどをかけて、やっと医師になれた!という感動が新しいとき、つまり熱いうちに、どれだけの経験をしておくかが、その後の医師としての人生を左右すると思いました。
また、医師に成り立ての若い時には、迷ったらしんどいほう、迷ったら忙しい方と思って行動していました。時には「なんでこんなことになるんだろう」と思うこともありましたが、このころのある意味ではエグい経験が、自分の基礎になりました。
ハザマ薬局の薬剤師にも、是非、そういう経験をして欲しいと思い、1年間の病院実習を計画したのはもう4年ぐらい前でしょうか。その第一例の先生が、1年間の研修を終えました。
大学院生として、医局に帰ったのが2000年。今では、駄目なんでしょうけど、1年間、大学院生として大学にお金を払いながら、病棟担当医として臨床に没頭していました。1年間、今や母教室の教授となった先生と病棟係をこなして、いよいよ研究生活が始まったのが6月。
キミのテーマは、移植だ、と言われて、しかもウイルスをやれということで、やったことのない電気泳動のゲル作りから始めていました。ブタの血管内皮細胞を培養して、時々コンタミを起こしてひんしゅく買って、的な毎日でした。
そんな朝、医局に行くと、当時17インチの巨大な三菱ダイアモンドトロンをくっつけたPower Mac使いの医局の秘書さんが、とんでもない形相で画面を見つめていました。
今日は、私どもの薬局で、頑張ってくれていた2名の薬剤師さんの結婚式にお呼ばれしてきました。
もちろん、昨日決まったものではなく、1年以上前から準備に準備を重ねたもので、若い二人もご家族も、皆さん悩みに悩まれたと思いますが、ウェブ参加(お弁当付き)も可能にして、会場は広めに用意され、感染対策に配慮された(業界基準も作られていて、それに準拠されているそうです)結婚披露パーティでした。
新婦は、学生の時に、私の講義を聞いたのがきっかけで、学生時代から当社の勉強会に参加され、晴れて、国家試験に合格後、入社。新入社員歓迎会でのあいさつでは「やっと、念願のハザマ薬局の社員になれました!」とおっしゃっていただいのが、印象的でした。
今日の午前中、外来の終わり頃に、私の大学時代からの同級生で、現在は米国テンプル大学外科学講座教授の重村周文先生が、私を尋ねてきてくれました。
重村先生はラグビー部で、イケメンの好漢。いつもスマートで、当時珍しかったAudi(たしか、SAABでも来てた?)で颯爽と大学に通っていました。
ラグビー部でも活躍した彼は、私と同じ第一外科に入局。当時20名を数えた新入局員の中でも、仕事ができて、イケメンで、優しいという非の打ち所なさで、絶大な人気を博していました。
消化器一般外科の修練のあと、大阪急性期総合医療センター(当時は大阪府立病院)の心臓血管外科に進みました。
どんな組織でも、スタッフに、組織が目指すべき方向性や考え方を伝えることは極めて重要です。
朝礼やミーティングなど、オフィシャルな場で伝えることも大事ですし、京セラの稲盛和夫さんがおっしゃっているように「コンパ」を開いて、食事やお酒を交えて、コミュニケーションをとりながら、伝えるということも大事です。
私も、社長になって15年ぐらいが経ちますが、自分の薬局では、何度も何度もこれを繰り返してきましたし、日本在宅薬学会でも、リアルであって、懇親会をして、ということを繰り返してきました。しかし、それがかなわなくなりました。
薬局は、7つのお店がありますし、日本在宅薬学会は会員さんが全国にいらっしゃいます。ですので、比較的すんなりと、オンラインを使うようになりました。薬局内での会議や勉強会、学会の研修会やセミナーは、全てオンラインとなり、今まで以上の意思疎通も可能になっていると思うこともよくあります。
2020年という年は、新型コロナウイルス感染症が拡大し、パンデミックとなり、世界は大混乱に陥った的に、教科書に必ず載るんでしょうね。
本当に色々とあった1年でした。まさに、歴史的な1年を私たちは過ごしてきたのかも知れません。
社会としての振り返りは、色々なところでまとめていただくとして、私個人は、薬局経営はもとより、病院での活動、さらには、個人的なできごとなど、ごちゃ混ぜで起こっておりました。
別に頼まれていませんが、写真とともに、振り返ってみたいと思います。よろしければ、お付き合い下さい。
今から、7年ぐらい前のこと。
薬局見学に来て、ちょっと案内したあと、近くのロイヤルホストで昼食を食べているときに、「僕、来ます。」と私も驚くスピードで入社を決めた山本康平先生。
入社後は、持ち前の明るさと笑いのセンス、同期の杉田康先生とのコンビは、常に当社を支え、引っ張ってくれました。
在宅での居宅療養管理指導はもとより、この1ー2年は、パートナー研修やその導入、先服薬指導の実践と全店への展開など、当社の今の屋台骨を作ってくれた一人です。
イケメン揃いの当薬局でも(!?)、1,2を争う山本先生。
薬剤師は、病院で研修をするべきか。
私の結論は、yes!思温ホスピタルです。その理由は色々とありますが、特に地域包括ケアシステムという概念が完成されつつある中で、薬剤師の7割が働く薬局でも、以下のようなポイントが求められます。
1つは、連携の機能。単独の薬局で、薬を出して終わりということではありません。そのときの患者さんの状態に応じて、服用後もフォローしたり、情報を提供したりということが必要になります。また、医療機関、介護施設、在宅と状態に応じて患者さんは療養の場所を変えますから、点の情報ではなく、時間経過や診療方針も含めた線の情報をきちんと伝えて、連携の室を高める力が必要なるでしょう。
昨夜、ふと思い立って父を夕食に誘いました。
私より30歳上の父は、16年程前に、体調が絶不調だった私を見かねて、勤務先の製薬会社の工場があり単身赴任先であった滋賀県から帰ってきて、当時保育園児だった子どもたちの送り迎えなどを助けてくれました。それからは、子どもたちが大きくなっても、気楽なのかそこに住みながら、趣味の碁を楽しんでいるようです。
私が51ですから、もう、そういう年なのですが、おかげさまで元気で暮らしてくれています。母も元気ですので、本当にありがたいことだと思います。
まぁ、元気ではありますが、そういう年齢でもありますので、ちょっと時間ができれば、月に1回ぐらいはご飯を食べようよと声をかけると、うれしそうに一緒に出かけてくれます。
今、厚生労働省では、「薬剤師の養成および資質向上等に関する検討会」という多少長い名前の検討会が開催されています。薬業系メディアなどでも頻繁に報道されているので、ご存じの方も多いでしょう。
そこでは、薬剤師はすべて医師のように病院での臨床研修義務化を行うという議論もあるようです。もちろん、実現可能性やその意義を含めて議論はあると思いますが、私は自分自身の経験ももとに(私の時代は臨床研修義務化はなかったですが)、ハザマ薬局の新卒薬剤師の研修プログラムに1年間の病院実習を取り入れたので、まとめておきます。
地域医療連携が進むためには、当然ですが、連携するものどうしがお互いの状況をよく知り、いい意味で慮った言動を行うことが重要です。
病診連携が曲がりなりにも進んでいくのは、開業医の先生は、基本的に病院勤務があるからではないかと私は思っています。ここまでは、病院よりはこちらの方がよい、ここからは病院じゃないとムリ、というのが分かるのは、やはり、双方の経験があるからだと思います。
薬薬連携と叫ばれて長いのですが、その言葉が、単に、患者さんの基本情報と薬の情報を引き継ぐだけなら、診療情報提供書の処方欄とお薬手帳で済むのかも知れませんし、来たるべきマイナンバーカードをキーとした医療情報一元化の社会では、薬剤師がわざわざ引き継がなくとも、全部分かってますけど、何か、となってしまいます。
人生わからないものです。
平成7年に、とにかく外科医になろうと大阪大学第一外科の門をたたきました。中之島ロイヤルホテルで、卒業式後の懇親会が終わったあと、当時の教授であった松田暉先生が、「来年、うちに来るヤツ、一緒に来い」ということで、福島あたりのお好み焼き屋に行きました。
だいぶ、私も飲んでいたのですが、ふと隣を見ると松田先生がいらっしゃいました。いくぶん朦朧としながら、「これから、第一外科の研修でヘロヘロになると思いますが、どんなにヘロヘロになっていても、これだけは忘れるな!ということは何でしょうか」と聞いてみました。
すると、間髪入れず「Be Bedsideや。常に患者とともにあれ。」とおっしゃいました。
それから25年、病院、診療所での医師としての勤務はもとより、縁があって薬局の運営に携わってきた中でも、「Be Bedside」患者とともにあれ、というのは、自分にももちろんですが、薬剤師さんたちにもお話してきました。バイタルサインというのも、その単なるツールにしか過ぎません。
勝手に夏の風物詩と思っていた、日本在宅薬学会の学術大会ですが、今回は諸般の事情があり、断腸の思いでウェブ開催に切り替えました(誌上開催と併用)。
在宅メッカでもある長崎、本学会初の九州での開催ということもあり、練りに練ったコンテンツをご用意していたので、その詳細は、学術大会HPをご覧いただければと思います。
その上で、今回は、リアルではできないから、代わりにウェブで、というノリではなく、ウェブでしかできない、学術大会を企画しています。とくに、同じ時間に希望のセッションがかぶったとか、ランチョンが聞けなかったといったことが、ありません。また、何より、距離が遠くて、時間が取れなくてといったこともありません。
それに加えて、3つのお勧めポイントをお知らせします。
おじさん。物心ついた時から、いつも身近にいた。
血縁関係のおじさんではなくて、いわゆる、おじさん。
電車に乗っても、お店にいっても、歩いていても、どこにいても
とにかく、おじさんはいた。
そんなおじさんの特徴は3つあった。
1.独特のニオイがする。
今は、加齢臭とかいうけど、昔は、おじさんのニオイだった。
タバコとヘアトニックと汗と何か(これがノネナールだった?)が入り交じった複雑なニオイは、おじさんが近くにいるんだな、と思ったものだ。
2.近頃の若い者はという。
それぞれの世代で、これ、面白いなと思うコトをやっていたら、直接的にせよ、間接的にせよ、お小言や皮肉を言われるのもおじさんだった。盛り上がった雰囲気が微妙になるとき、おじさんだな、と思ったものだ。
3.独自の体操をする。
ふとしたときに、身体をかがめてみたり、がに股の屈伸をしてみたり、首をぐるぐる回してみたり。そんな体操、学校では習わなかったという体操を信号待ちにしている人を見るとき、おじさんがいるなと思ったものだ。
この季節、本当にありがたいことに、普段は口にできないようなものをいただく機会が増えます。本当にありがとうございます。スーパーでは絶対に自分で買えないよなというような高級フルーツをいただくこともあります。
昨日も、事務所に帰ったら、桃をいただいていました。いつも、お世話になっているのに恐縮です。
一人ではもちろん、全部食べきれないですし、フレッシュな間にいただいた方がよいので、みんなでお裾分けしていただくのですが、今日ふと思いついて、一個だけ病院に持ってきました。
とはいえ、病院ではナイフもなければ、お皿もない。さて、どうして食べようかと思ったときに、ふと思い出したのが、夏目漱石の三四郎に出てきた水蜜桃の話です。
今の小中学生がどうかはよく知らないのですが、僕らのときには、当然読んでおくよな、的な雰囲気が強く、新潮文庫の百冊などにも絶対入っていて、夏休みに読んだ気もします。夏目漱石の吾輩は猫であるはもちろんのこと、こころやそれからなども印象深かったですが、三四郎は、とても面白かったです。
美禰子さんが、ストレイシープ…というような場面は、後年、東大の三四郎池の近くに行った時に、なんとなく思い出していました。
で、話は変わって、水蜜桃。熊本から東京に向かう汽車の中で、豊橋で乗り込んできたおじさんが、駅で買い求めて、おまえも食え、と三四郎にばりばり食べるながら、好きな話をして、食べ終わると、新聞紙にぐしゃぐしゃっとまとめて車窓から外にぽいっと捨てるわけです。
最後の下りはともかくとして、なんとも印象的なシーンでしたが、それを突然思い出しました。
来るぞ、来るぞと言われながら、来るのかなと思っていたら、やっぱりほんとにやってきた、レジ袋有料化。
うちの薬局でも、それに向けてちょっとした準備を始めてくれてきたようです。
割り箸の話と似てるんじゃないかとか、そもそも、持ち帰って生ゴミ入れとしてちゃんと使ってたから、そんなにムダじゃなかったんじゃないかとか、3円はおかしいとか、大きいと5円かよ、とか、色々と意見はあると思うのですが、とりあえず、始まったら始まったで順応するしかないか的な小市民の私は、実は2ヶ月ぐらい前から、もらったレジ袋をためていました。ぐるぐるっとねじったり、くしゃくしゃっと丸めたりして袋に入れても結構かさばるんですよね。
数年前から、日経DIという薬剤師さん向けの電子媒体でコラムを書かせていただいています。
月に2回の掲載を目標に、その時々に思った内容をまとめています。
最近は行けていませんが、薬剤師さん向けの講演会などでお目にかかる多くの薬剤師さんは、
いつも、DIのコラム、読んでいますよ!とおっしゃっていただきます。ありがたいことです。
今朝起きて、連休の朝ランに行こうと思ったら、雨。
小雨なんだけど、ちょっと待てば止みそうなんだけど…
いつも、思うのは、雨の中を走り出すほどのやる気は無いんだな、ということ。どうでもいいですけどね。
どうでもいいついでに、昨日、ひょんなことから、コンデジっていうんですか?を下取りしました。
iPhoneのカメラで十分だよな、と思ってもうしばらくになりますが、なんか、やっぱり、うきうきしますよね。
そういえば、昔、無理言って買ってもらいました。
α-7000だっけ。望遠レンズかって、オートフォーカスにびっくりしてたなぁ。写ルンです全盛だったから。
なんとなくうすうすとは感づいていたものの、
薬局の社長になることになった2004年ごろ。
医師としては10年目を迎えて、ある程度のことはできるように
なっていましたが、社長なんて、やったこともないし、そもそも
商売とか採算とか、儲かるとか儲からないとか考えたことがなかった
私は、手当たり次第に本を読みまくっていました。
そんな中、はまったのが、神田昌典さんの一連の著作でした。
口コミ伝染病からはじまり、非常識な成功法則などもありましたが
中でも、インパクトがあったのが、この本です。
ビジネス書のコーナーで、ショッキングピンクというのは、まさに
度肝を抜かれる目立ち方でしたし、この「あんた、儲かるで!」的な
直接的なキャッチコピーは、レジに持って行きにくい感じすら
あった本です。
中身は、本当に勇気づけられるもので、私のこの15年の社長生活の
基本は、この本にあったといっても過言ではないと思います。
もう一昔前ですが、小松秀樹先生が医療崩壊という本を上梓されました。
立ち去り型サボタージュという言葉は、非常に衝撃的で、その当時、医師となって10年余りだった私も、なるほどな、と思うことも多かったです。
で、今回の新型コロナウイルス感染症の拡大で、出てきた、医療崩壊。
全く別物の崩壊ですよね。欧米からの報道のように、
人工呼吸器が足りなくてものすごい数の方がバタバタと亡くなっていくとか、
外来の待合で点滴しながら人が倒れているというのは、
日本では幸いにもないのではないかと思いますが、
地域の基幹病院で予定手術や救急を取り止める、
外来診療や初診、新規入院はストップするというのは、
まさに、医療崩壊とも言うべき
状況だと思います。
うちは、自慢じゃないですが、紙カルテです。
なんなら、オーダリングも紙で、レントゲンのオーダーも
2枚綴りの複写用紙にボールペンで書いて、紙カルテに
挟むパターンです。
ワイルドだろうw?
そんな、大阪の地場の病院でも、
新型コロナ感染症の影響は、確実に押し寄せています。
外来での対応、施設にご入居中の方への対応、
さらには、他の医療機関の転院…などなど、
患者さんのお役に立つことと、入院中の患者さんや
病院職員の安全を守ることを、いかに考えるのか、
試行錯誤の日々です。
先日、厚生労働省からも通知が来た、オンライン診療。
当院でも、対応を始めることにし、患者さんに通知を
していましたが、今日は、その初日。
早速、私の外来に定期通院されている方が2名、エントリーされていました。
お二人とも生活習慣病の方で、方や自立して生活されている方、方や、介護を受けながら生活されている方でした。
中学生時代、アマゾンもなかったころ、本屋さんに立ち寄ることは、娯楽の一種でした。
そんな中、私が見つけたのが、学研の「ムー」という雑誌でした。
学研と言えば、何しろ、学習研究社ですし、「〇年の科学」「〇年の学習」は、僕も定期購読を
親に頼んでいましたから、その内容具合には、ぶっ飛びましたし、中学生の私は夢中になりました。
今でも、なんとなく覚えているのは
・源義経は、モンゴルに渡り成吉思汗になった
・イエスキリストは、実は、青森に来ていた(五芒星があるらしい)
・カッパのミイラが安置されている寺がある
・UFOが墜落して米軍関係者がその死骸を回収した
・巨大隕石が地球に激突するらしい
・徳川埋蔵金
・ノストラダムスの大予言
などなど。
学研のイメージをぶち破る内容に、当時は、夢中になったものです。
その昔、自分では(懐かしの)ホームページビルダーを使って、個人のHPを作っていました。
Second Opinion Serviceといって、セカンドオピニオンが気軽に受けられるHPです。
都合、3年ぐらい自分で運営しましたが、全国からお問い合わせが延べ100件以上ありました。
中には、ご自身でCTの画像を当時は珍しかったデジタルカメラで撮影され、私の方へ
送ってこられた方もいらっしゃいました。
また、胸腺腫という比較的珍しい病気で、従来とは異なる内視鏡手術を希望され
関東の病院をご紹介して、無事手術が終わったと、病室からメールをいただいたことも
ありました。
医療における情報を、正しく伝えていくために、HPは極めて重要です。
そんなことから、自分の会社でもそういった部門を立ち上げて、10年余りになります。
医療者のつとめとして、患者さんの不安は、できるだけ払拭してあげるように、誠心誠意対応してあげるべきだと思います。
ただ、「患者さんの不安の払拭」ということが、錦の御旗になって、不可侵領域になると、医療としての正しさが揺らいでしまうことがあります。
もう20年近く前ですが、当時の外勤先で、肺がん根治術後、しばらく経過していた方でに毎月CTを撮って欲しいという方の診察にあたりました。カルテをさかのぼると、2年以上にわたって、術後変化のみ、著変なしのCTが繰り返されていました。
医学的には意味はなく、毎月でなくてもいいんじゃないですか?とお話した(当然、私以外の医師もそうお話されてきたのだと思います)ところ、「またお前もそういうか」という表情で、「不安だから、やって欲しい」ということを、おそらく、何十回と繰り返されたであろう文脈でお話されました。
リスクは高くないとは言え放射線被曝のことも、医学的な意味合いが低いことも、その方には関係なく。
最終的に、もし、そうやってがんが手遅れになったら、責任とれるのか、的な話になります。そうなると、先生も不安でしょ?だから、先生は、CTをオーダーすればそれでいいんだ、的な話でした。
混んでいる外来で、ある意味では筋金入りのその方と、バイト先で自分のリスクをかけて延々とやりあうのか、わかりました、といってポチッとクリックするのか。
当時の私は、後者を結局選択しましたが、釈然としない気持ちがしたものです。今なら、どうしますかね。
医師と患者さんの関係は、やはり難しい。
患者満足と医療の正しさ、医師のコミュニケーション能力や、患者さんの様々な背景。
色々な要素が絡み合うからかも知れません。
風邪で抗生物質が欲しい、ウイルスには効きませんよ、インフルエンザで、検査して欲しい、しなくて良い、
治癒証明書を書いて欲しい、書く必要性はない的な議論も、ちょこちょこ診察室では起こります。
何でだろうな、と思うのは、不安解消の方法を、患者さんが指定してくることが原因じゃないかと
思うようになりました。一昔前は、その情報ソースは新聞、テレビ、ラジオ、雑誌ぐらいしかなかったのが
今は…。だから、医師からすれば「え!?」という内容が患者さんから一本釣りのように提示され、
混乱するのだと思います。
「この心の不安、解消してくれないと気が済まない。」という気持ちにお応えすることは
大事なことだと思うけれども、その不安の解消法については、医師ともよく相談して欲しい。
CT検査を受けることが目的化してしまうと、態度は硬直化し、関係構築が難しくなります。
再発の不安にどう向き合うのかという方法を、医師と患者さんで話し合って合意できれば
もう少し良い方法はあるように思います。
これからの課題ですかね。医師にとっても、患者さんにとっても。
昭和が平成に変わるころ、私は、大阪で浪人生活を送っていました。最後の共通一次試験も終わり、
二次試験に向けて、最後の追い込みといったときに、予備校の自習室に行くのもなんとなくダレてきて
予備校の知り合いに紹介してもらった有料自習室(当時は珍しかったです)に通っていました。
1日500円か600円だったか忘れましたが、阪急宝塚線岡町駅前のビルテナントとして入っていたところに
毎日通っていました。
最初に講演に呼んでいただいたのが、2004年の年末でした。知り合いの薬局さんの勉強会でお話させていただき、その後忘年会にまで参加させていただきました。
当時、何をしゃべったのかは、もうあまり覚えていませんが、うちの会社と違って規模も大きく、社員さんも元気で優秀で、先方の社長さんと鍋をつつきながら、ため息をついたことは鮮明に覚えています。
それはさておき、今年も多くの講演やセミナーのご依頼をいただいております。1月も今日で終わり。
備忘録的に、2月の講演を一覧としてアップします。
またお近くに参りましたら是非、お越しください。
オンラインサロンを始めて、3ヶ月が経ちました。先週末には、
初めての試みですがハザBarというオフ会を開催し、リアルに色々と
お話しました。豪華ゲストもいらっしゃって、業界のこれからだけでなく
自社の薬局をどうするかを考える機会が持てました。
先日の会でも、しばしば出てきたのが「孤独」という言葉でした。
経営者は確かに孤独と言われます。経営者の会というのが色々とあるのも
その孤独を解消したいという願いの表れかも知れません。
ただ、昨日、CBアドバイザリーさん主催の薬局経営者向けのセミナーで
お目にかかった薬剤師社長さんは、業界が特殊なこともあり、
なかなか参考にすることができないというお話をされていました。
確かにその通りだと思います。
このサロンもそうですが、サロン立ち上げのもとになった
薬局マネジメント3.0セミナーでは、薬局経営者同士が
それぞれの会社で持つ課題や悩み、強みや展望をざっくばらんに
話し合うことで、ピンポイントの情報を共有し、
結果的に孤独を解消していっているのだと思います。
私自身も、100名近い薬局経営者とお話するなかで
孤独が解消されていると実感します。
・これから業界がどうなるのか不安
・自社のヒト、モノ、カネの問題をどう解決するのか
・採用、研修、定着、営業…どうしてるんだろう?
そのようなお悩みをお持ちの方には、ぴったりだと思います。
「薬局経営者の孤独を解消する。」
それがこのオンラインサロンなのだということが
この3ヶ月の実感です。
もし、同様のお悩みをお持ちであれば、是非、ご参加下さい。
お待ちしております。
あけましておめでとうございます。旧年中はお世話になり、ありがとうございました。
今年もぜひ、よろしくお願いします。
さて、正月三が日があけて、4日。恒例の(?)新春セミナーを博多で開催していただきました。もともとは、「博多で食事会でもしましょうよ」的なお誘いをいただいた数年前に、じゃ、正月明けすぐの土曜日であれば、夕方からセミナーして、食事会、ということではいかが?といったノリで、開催して、今年で、3回目ぐらいになります。
昨年も、このセミナーで私の講演ライフ(?)が始まったのですが、今年は1月4日ということになりました。あまりにも早すぎない?という意見もあり、11日にしますか?という検討もしたのですが、その週は、日在薬の在宅療養支援認定薬剤師の試験の前日になることもあり、4日に決行することになりました。
ありがたいことに、九州チームのメンバーが積極的にお声がけをいただいたこともあり、定員はすぐに埋まり、コンパクトな会場で、熱気むんむんのなかで開催されました。
会場のセッティングや、司会の段取りなど、みなさんてきぱきとやっていただき、本当にありがたいことでした。
思い返せば、2004年の12月。薬局業界に飛び込んだばかりの私に、業界の大先輩が「先生、一度、うちの薬局で講演してくれへんか?」と言われて、「え!?僕がするんですか?」と戸惑いながらトライしたのが、実質初めての講演会だったような気がします。
それから、15年。
今年も、全国で色々な機会で、色々な先生方や学生さん、さらには一般の方にもお話させていただく機会をいただきました。
講義とは、大学生向け。講演とは、薬剤師会や学会。セミナーとは、弊社も含めて企業主催のもの(オンラインセミナーも含む)としてざっくり分類しているのですが、114回になりました。
薬剤師の仕事は、薬を渡すまでだと、ホントに広く、固く信じられてきたと思います。
でも、そうじゃない。それだと、薬学部で勉強した意味が実感できないし、周りの医療専門職は、薬剤師の専門性が理解できないのです。
なぜなら、薬学部で学ぶことの多くは、薬が体に入ってからどうなるか、ということです。いわば薬理学的なできごと、時間軸や、製剤的な工夫も併せて考えることができるというのが、薬剤師が専門性を発揮できる場所だと思います。
しかし、従来から、薬剤師の仕事は薬が体に入るまで、お渡しするまでに限定されてきました。ここで、強力なビジネスモデルができあがり、社会保障制度の一環として国費を投入して制度化されましたから、みんな、これが自分の仕事だと思ったのですよね。かくいう私も、そう思ってきました。
今、色々な薬局で業務改革に取り組もうとされるなかで、薬剤師も、それ以外のスタッフも、業務のテリトリーの変更を好まないのには、2つの理由があります。
1つは、薬剤師が、自分の業務を共に遂行するに足るメンバーだと実感できないから。そして、もう1つは、あまり教育もされずに、がばっと仕事を回されても怖いし、責任もとれないからです。
そのままで、いわゆるCPS(CO-Pharmaceutical Staff)と一緒に仕事をとしても、結局は振れる業務は限定的で、薬剤師としてはあまり業務負担の改善も実感できず、なんだかなぁ、という形になります。
とはいえ、薬機法改正がいよいよ現実のものになりはじめ、2020年度調剤報酬改定でもそれらに基づく大幅な変更も見込まれるようになった今、薬剤師の業務やあり方も大きく変わらなければなってきました。
薬剤師が服用後のフォロー、アセスメント、医師へのフィードバックといった業務を行うためには、現在の業務を整理して、時間・気力・体力を温存しておく必要があります。そのためには自薬局の体制に応じた新しい業務フローを作り、試行錯誤を重ねながら、現場に落としこんでいく必要があります。薬剤師法19条を遵守しながら、新しい業務体制を作るには、0402通知を参考に、薬剤師以外の者でもできる業務を、きちんと構築して行く必要があります。
しかし、そういったスタッフは、様々な職種からの転職や、文系学部からの新卒就職のメンバーです。彼ら彼女らに、在宅で居宅療養管理指導の契約を締結したり、一包化の計数チェックをしたりしていただくためには、ある意味では一からの教育が必要です。逆に、これがなければ、薬剤師は不安が強く、自分の仕事を振ることを直感的に拒否したくなります。
薬局マネジメント3.0セミナーを開催します。
11月末より、4回シリーズです。
このセミナーをきっかけに、施設在宅が始まったとか、営業手法を変えたとか、色々な成果のご報告をいただくセミナーです。
私が10年あまりの七転八倒で得てきたものを、最新の情報も交えて、ともに共有させていただきます。
私とのお話もそうですが、参加されている社長さん同士のつながりも
これまた、すばらしいと思います。
現在まで、北海道から沖縄まで、まさに全国からお越し頂いているのですが、今回は、愛知、大分、岩手、兵庫、香川からお申し込みをいただいています。
商圏が離れているだけに、事情も違うのですが、ある意味安心してお話できる機会にもなります。少人数で、じっくりやります。
これからの薬局経営をどうするか、悩んでおられる方がいらっしゃれば、是非、ご参加いただきたいと思います。
お待ちしています!
お申し込みは、こちらから。
実は、今回の日薬の学術大会は、参加できなかったのですが、その顛末を備忘録的に書きたいと思います。
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、大学時代、ボート部と軽音楽部を兼部していました。
方や、部員が足りなくて、身体がおっきいやつという理由で勧誘して頂き、方や、メンバーが足りなくて、声がおっきそうなやつという理由でした。
ボート部は、主に、朝から昼過ぎまでの活動が多く、軽音楽部は主に、夕方から夜の活動が多かったので、なんとなく、ともに5年生の引退まで続けました。最後は、考えられないダブルブッキングになって大変だったのですが、それは、また、別の機会にw
で、ボーカルで入ったはずが、高い声がやっぱ出ないよね、ということで、何か楽器やることになり、ドラム、ベース、ギター、キーボードのメンバーはいたので、別のことをというリクエストにお応えして(?)、やったことのないサックスを選びました。バンドのリーダーが、サックスがいいんじゃないの?的な、のりだったと思います。
予想に反して、バンド活動はストイックで、ライブハウスにオーディション受けて出るという活動を基本に、結構、まじめにやってました。「破産財団」と名付けられたバンドは、若干のメンバー変遷を経て、5年生の秋まで続き、内科かなんかの試験の前ぐらいだったかに、最後の解散ライブをして、終わりました。それ以後、サックスはほとんど吹くことはありませんでした。
施設での在宅業務をいくつか経験してきたなかで、配薬カートではなく、お薬カレンダーの方がミス無く、また、効率的に業務でき、スペースを取らないことがわかってきました。
ただ、市販のお薬カレンダーは、強度の問題や落薬の問題など、個人で使うベースでは困らないが、プロが業務の一環として用いるのはしんどいと考え、2年ぐらいかけて、金型から作ったお薬カレンダー。今は、施設だけでなく、病院でも使っています。
ただ、素材や手間などで、お薬カレンダーとは思えないぐらいの高額なものになりました。
あっという間に9月です。早いですね。
秋と言えば学会シーズン。講演会の数も、有り難いことに増えて参ります。
9月1日は、福岡でファイザーさん主催の管理薬剤師ネクスト講座でした。
福岡はリアル会場でしたが、その他全国のサテライト会場が設定されており、大変
多くの方にご参加いただきました。ありがとうございます。
私ができることは何かを考えながら、少しでもお役に立てればとお伺いしております。
9月の講演予定を備忘録的に書いておきます。よろしければ、是非、ご参加下さい。
当社では、2ヶ月に一回、社員全体があつまる研修会を開催しています。その中では、外部から講師をお招きしたり、スタッフが業務内容に必要な情報を提供したりしています。
今回は、4月に新しく入社された新人薬剤師5名と、パートナー3名の研修成果発表と、私たちがもう20年近くに亘り扱っている大麦若葉に関する勉強会でした。まだまだ暑い夏の夕方でしたが、約100名のスタッフが、業務を終えて集まってくれました。
新人の発表は、どれも初々しく、心が洗われるようでしたが、1年目の薬剤師さんは、すでに服用後のフォローとアセスメント、医師へのフィードバックを始めており、頼もしい限りでしたし、パートナーさんは、医療現場での緊張感に挑んでおられ、頼もしい限りでした。
4月23日の財務省の会議で2020年度の診療報酬改定の方向性なども議論されたようです。
日本在宅薬学会で発信してきました。
平成30年度も終わりを迎えます。
2月以後、年度末に向けて、色々なところでお話させていただきました。
2月22日の地域包括ケアEXPO以後、こんな感じです。
2月24日(日)大阪
第5回 大阪心不全地域医療連携の会
先輩の先生のお声がけもあり登壇させていただきました。
心不全パンデミックにどう立ち向かうかというテーマに
薬局、薬剤師を活用すべきではないかとお話しました。
今後遠隔モニタリング、遠隔診療、遠隔服薬指導など
色々な場面において、薬局・薬剤師は重要と思います。
今回は、地域包括ケアEXPOというイベントの講演でお呼び頂きました。
会場は、インテックス大阪。医療、介護、福祉など多岐にわたるテーマのイベントが同時に開催されていて、会場は、780を超える事業者が出展で、毎日1万名の方がお越しになったそうです。
外国のブースも多く、かつて経験したことがないような熱気に溢れていました。
私は、青森県薬剤師会の木村隆次先生とご一緒に、薬局をテーマにしたセミナーでお話させていただきました。
会場は、2面のスクリーンを持ち、250名満席の状態でした。
介護施設での薬物治療を良くするには、良い処方を、ミス無く調剤し、きちんと配薬し、正しく与薬する、という一連の流れを、薬局と介護施設が連携して構築することが大切だということをお話しました。
終了後は、介護施設やメーカーさんだけでなく、薬局の方とも、色々とお話しました。やはり、このテーマは重要なのだと改めて思いました。
薬局のあり方は、人口動態や疾病構造の変化によって、当然ながら、大きく変わっていきます。
特に薬剤師の教育課程が6年制に移行して10年あまりが経過し、薬局・薬剤師のあり方は、大きく変わろうとしています。
ならば、薬局のマネジメント仕方も変わるだろうということで、薬局マネジメント3.0(評言社)という本にもまとめたのですが、
実際にということで、2年前から、主には薬局経営者向けのセミナーを4回シリーズで開催しています。
前回同様、今回も、大阪に九州からの参加者も含めて、19名の方に集って頂き、セミナーを開催しました。
私は大学時代(といっても25年以上前ですが)、軽音学部とボート部を兼部していました。
これに家庭教師を常に3−4人は担当していたので、どうやって、大学通ってたんだろうと、我ながら不思議ですが、まぁ、なんとかしていたんでしょうね。
ボートは、もちろん、大学に入るまでは、そんなクラブがあることも知るよしも無く、まさか自分が入るとは思いませんでしたが、高校の先輩がいらっしゃったご縁で、入ることになりました。
まぁ、いわゆる青春時代を、一緒に過ごしたメンバーですが、みんな偉くなっていました。
教授になったメンバーもいれば、開業したメンバー、臨床の現場で活躍しているメンバー
昔話にも花がさくとともに、それぞれが活躍していることを、それぞれに喜び合いました。
まぁ、年を取ったと言うことなのかも知れませんが、これから10年、気合いを入れてがんばりたいと思いました。
いずれにしても、楽しい時間でした。
先日の札幌の講演会から中2日で、
今度は、川口市の講演会に呼んでいただきました。
埼玉県医師会や川口市医師会の後援も受けておられるとのことでテーマは脳卒中の研究会でした。
私を呼んで下さったのは、地元の済生会で
脳外科部長をされている方で、
偶然にも、私が大変に御世話になっている
ドクターの後輩でいらっしゃいました。
お話をおうかがいすると、2年ぐらい前でしたか
医療マネジメント学会でお話したのをお聴きになって
いただいたようで、それがきっかけだったということです。
ありがたいことです。
先日の旭川に続いて、
札幌での講演会に呼んでいただきました。
写真は、FBでのお友達にいただいたものです。
医師向けの講演会で、私以外にも2名の先生が
お話されましたが、いずれも、糖尿病治療や
不整脈治療の大家の先生で、内容も本当に
アカデミック。
私はいつもの医療漫談のような内容で
よかったのかな、と思いましたが
他に話すこともできないので
いつもの通り、お話しました。
懇親会では、
数名の薬剤師の先生方とも
お話しましたが、大学の先輩で
腫瘍を専門とされていた整形外科の先生が
色々とお話しました。
私も、がんばろうと、
改めて思いました
外来で衝撃の出来事がありました。
は「その後、食欲どうですか?」
患「あまり、ないわ」
は「え!?体重は、減りましたか?」
患「減らんよ」
は「じゃ、がんばって食べてるからですかね」
患「いいや。あんまり、食欲ないから
泥棒市場で、ラコール買ったわ」
は「!? 泥棒市場!? 何ですか、それ?」
患「高架入ったところに、あるねん。」
は「ラコール、売ってんの?いくらで?」
患「30円」
は「やすっ。それ買って飲んだの?」
患「そう。」
は「他には、何を売ってるんですか?」
患「缶のやつは、100円」
は「缶?エンシュア?」
患「そう。泥棒市場で揃わんもんはないよ。マイスリーもデパスもある。」
は「えぇぇ!? いくらなんですか」
患「マイスリーは、ワンシート1500円。デパスは、500円」
は「そうなんやぁ」
看「そうなんやねぇ」
患「ははは」
は「ははは」
患「ははは」
は「…はぁ」
いろんな事を、考えなくてはならない時代なのかも知れません。
雪深く、ピンと張り詰めたような空気の旭川空港から1時間半。東京羽田に降り立ちました。
そこから京急と東京メトロを乗り継いで、やってきたのがこの学会。
ことの発端は、年末頃にご連絡をいただき、先月大阪の事務所にわざわざお越しいただきました。
遠隔医療は20年以上の歴史があるそうです。確かに、私が宝塚市立病院で研修をしていた1999年ごろ、腹腔鏡胆嚢摘出術を、NTTの回線をつないで遠隔から指導して行うというのを、テレサージェリーと名付けて行ったことがありました。
インフラも、ハードもソフトも飛躍的に進化した今、遠隔医療というのは様々な分野で広がっていくのでしょう。
そんな中、安倍首相のお話でも突然出てきたのが「遠隔服薬指導」。名前は理解できるし、なんとなくイメージはできるけど、一体どうなんだ、ということで、ヒアリングにお越しいただいたということでした。
その戸惑い、わかります。だって、お渡しするまでの説明を遠隔でしますっていうと、遠隔でやることの意義はもとより、必要性にも疑義が生じるからだと思います。
そこで申し上げたのは、薬機法の改正で、薬剤師の服用期間中のフォローが義務化される方向で制度部会の話がまとまったということです。これが法的に定められれば、薬局や薬剤師のあり方は、飛躍的に変わります。そんな話をしていると、是非、2月3日のカンファレンスでお話して欲しいというオファーをいただきました。偶然か必然か、羽田乗り継ぎの便だったので、羽田ー伊丹便の時間を変更してお邪魔しました。
旭川薬剤師会の学術講演会にお呼びいただきました。
お話をいただいたのは、半年以上前。
2月に旭川!?と思いましたが、前日の雪が降ったということで、冬らしい旭川を体感することができました。
たしか、2−3年ぐらい前に、三師会の合同新年会前の講演会で呼んでいただいたり、昨年でしたか、旭川のOTCの薬局さんのセミナーに呼んだいただいたり、思い起こせば、8年ぐらい前に、私がバイタルサイン講習会を開かさせていただいたり…と、何度目かでした。
講演には、会場が満席になるほどの多くの参加者に来ていただきました。また、終了後は熱い薬剤師さんたちと、色々なお話ができました。
本当にありがとうございました。この講演会が、旭川の地域医療がもっと良くなるきっかけの一つになれば、と思いました。
「薬剤師が薬をお渡しするまでではなく、服用した後までフォローすれば、薬物治療の質は飛躍的に改善する。」
実は、ということはないのですが、これは、平成25年ごろから、私が在宅医療の現場で薬剤師と訪問診療をともに行うなかで、実感してきたことです。
薬剤師が在宅の現場に赴き、患者の状態を自ら知ることは、コンプライアンスの問題も含めて、前回処方の内容の妥当性を知ることになります。そこで発揮する薬学的専門性は、医師の私にとって本当に助かるものが多く、自らの 診断過程や、処方内容に反映させることで、患者さんの状態が良くなることを実感してきました。
このことは、ご案内のように、厚生労働省の医薬品医療機器制度部会において、次回の薬機法改正に織り込まれる方向性でまとまりました。2年ほど前から、この在宅医療の現場で発見したコツを、外来診療にどう落としこむかについて算段してきましたが、ようやく方向性が見えてきたところです。
法律にどのようになるか、まさに、国会が始まったところで予断を許さないと思いますが、既報によれば、今国会中に審議され、
①薬剤師が服用期間中もフォローすることを義務化する、
②その時点で得られた薬学的知見を医師にフィードバックすることを努力義務とする、
③そのような業務に薬剤師が当たらせる体制を整備することを薬局開設者に義務化する
ということが、法律上明記されることになると見込まれています。
薬局が在宅医療に取り組むには、いくつかの段階があります。始めるにも、ちょっとした工夫が必要になってきますが、継続して行っていくためには、切実な問題をクリアしていかなくてはなりません。
1月27日(日)に、(株)ユニヴ様の主催でのセミナーで熊本まで伺ってきました。
熊本の土地勘は、もちろん、ないのですが、だいぶ市内から離れたところや、遠くは佐世保からもお越しいただき、本当に感激でした。
また、ベストセラーをお書きになっている薬剤師さんにもお越しいただき、感激でした。
私が薬局運営をしていく上で、大切だと思っていることをコンパクトにお伝えさせていただきました。少しでもお役に立てればと思っています。
私が医師になったのは、平成7年ですから、もう20年以上も前のことになります。そういえば、ポケベル買ったよなぁというのを懐かしく思い出しますが、そのころ指導医の先生には、「臨床・教育・研究」の3つを鼎立させることが大切だぞ!と何度も言われました。このことは、今も役に立っていますが、私が理事長をつとめる日本在宅薬学会でも、薬剤師さんに症例報告をしよう!と勧めてきましたのも、そのためです。実際、症例報告に向けたワークショップなども、今まで大阪や福岡で開催してきました。
発表準備には文献検索が必要です。
日本でメジャーなのは、医学中央雑誌刊行会(医中誌)のデータベースです。私が研修医のころは、病院の図書館にあるPC9801(!)に年代ごとにまとめられたデータベースが入ったCD-ROM(!)を差し込んで、ジコジコと調べていましたが、今は、webで検索することができます。医師はもちろん、薬剤師の先生でもお使いの方が多いと思います。
日本在宅薬学会バイタルサイン講習会エヴァンジェリストとは、私が2009年から始めている「薬剤師のためのバイタルサイン講習会」をご自身で開催していただくことを御願いする方です。
このバイタルサイン講習会とは、単に、聴診器の使い方や血圧のはかり方、脈の取り方などの技術をお教えする会ではありません。
薬剤師が業務で感じる閉塞感の原因やメカニズムについて、業界の歴史や背景も交えながら考え、それを、打破するためには、薬剤師自身が、薬をお渡しするまでではなく、のんだ後までフォローをすることが大切であるというコンセプトをお伝えすることに主眼をおいています。
対物から対人へ。
言うのは簡単ですが、やるのは、容易ではありません。
というのも、対人業務といっても何をすれば良いの?ということがわかりにくいだけでなく、対物業務で手一杯なのに、どうすれば良いの?という現場の疑問が解消されないことに加え、そんな変わった、そして、忙しい仕事を、スタッフがモチベーション高く取り組む仕組み作りがわかりづらいというのもあるかも知れません。
さらには、いわゆる外来調剤業務に専念するのが、経営的にも極めて重要な現状の薬局経営のなかで、どのように対人業務を取り入れていくのかというのは、ある意味、経営者にとっては、恐れでもあります。
人材マネジメント、教育マネジメント、組織マネジメント、そして経営マネジメントなど、薬局を運営する上では、様々なマネジメントがあります。
1月5日は、
昨年に引き続き、新春早々の
福岡での認定薬剤師セミナーでした。
まだ、お正月気分も抜けきらぬ中、
多くの薬剤師さんが、九州、中国、近畿は
もとより、遠くは宮城、埼玉や
海を越えて、愛媛県からも
お越しいただきました。ありがとうございました。
私のお話の後、3名の先生方と
フリーディスカッションをしましたが、
みなさま、本学会との関わりをきっかけに
大きな変化を起こされていました。
2017年の酉年が終わります。
今年も、なんとか終われます。ありがとうございます。
仕事の軸としては、大きく分けて3つの柱が整いました。
1つは、医師としての仕事です。
180床の地域病院をどうするのか、というテーマに
取り組んできました。
医師、薬剤師、管理栄養士、理学療法士、看護師、
そしてソーシャルワーカーとともに
回診することは、私自身がイメージとしては持っていましたが
なかなか、具体的にどうすれば良いのかということが
見えてきました。この取り組みは、今後も続けていきます。
また、その中で、薬剤師のあり方を変えていくこと、さらには、
本当の薬薬連携とはどうするのか、ということにも
取り組むことができるようになりました。
地域包括ケアシステムについて、どんな風にすればよいのか、
また、現場で取り組んでいきたいと思います。
7月29日、30日の二日間、パシフィコ横浜で、日本在宅薬学会第10回学術大会が、井手口直子 帝京平成大学教授を大会長として開催されました。
合計でほぼ1500名の方にご参加いただきました。
2009年11月に設立した本会は、年に2回のシンポジウムを開いてきました。いずれも1日でした。
それを、二日制にして1年に1回としたのが第5回大会でそれから5年が経過したことになります。
そのときには、350名程度の参加者でしたので、4−5倍のご参加者になったことになります。
ありがとうございます。
当時は3会場ぐらいだったと思いますが、今回は、パシフィコ横浜のメインホールもお借りして
6会場+展示会場という構成で行いました。
学会で何度も訪れたことのあるパシフィコ横浜ですが、自分が始めた団体が、このようになるとは
正直、驚いています。もちろん、これは、私一人でどうにかなったものではなく、
多くの方々のご協力、ご賛同のもとに初めて可能になったものです。
発表は多岐にわたりました。基調講演は、厚生労働省保険局の中山智紀管理官にお願いできました。
柔らかい口調ではありましたが、今のままの薬局のあり方では、調剤報酬は思い切った改革をせざるを
得ないという雰囲気がビシビシ伝わってきたのは、私だけではなかったと思います。
また、日本医師会との共催シンポジウムでは、
なんと、厚生労働省の初代医務技監となられた鈴木康裕先生、
日本医師会の副会長で、中医協委員となられた今村聡先生、
日本薬剤師会会長の、山本信夫先生、
東京大学大学院医学部系研究家教授となられた今井博久先生
という、超豪華メンバーにご登壇いただくことができました。
その中で、鈴木康裕先生が
「薬剤師は処方の減薬、中止に積極的に取り組むべきで、その際に
医師、看護師との共通言語であるバイタルサインを活用する必要がある」
ということをおっしゃったことは、
バイタルサイン講習会を始めた私にとっては、とても感慨深く、ありがたいご発言でした。
おそらく、厚生労働省関係で、薬剤師とバイタルサインの関係に明確に触れられた医経技官の先生は
初めてではないかと思います。
もう、盛りだくさんすぎて、あまりご紹介できませんが、
いずれ、会員さん向けには、復習動画がアップされますので、是非、そちらをご覧下さい。
また、日本褥瘡学会、日本臨床腫瘍薬学会との共催ワークショップも
大盛況でしたし、パートナーに関するセミナーもワークショップも大変
活気あふれるものになりました。
全体を通じて思ったことは、
薬剤師さんが、着実に動き始めているということです。
時代は、到来しているのではないでしょうか?
これからが、楽しみです。
僕もがんばろう!
きたる4月23日に大阪で薬局における非薬剤師業務を考えるシンポジウムを開催します。
私はクロージングリマークスを担当しますが、その抄録を一足先に公開します。
非薬剤師業務を考えることは、薬剤師業務の本質とは何か?ということを考えることだと行き着きました。
薬剤師業務の本質は、薬学的見地からの患者の状態の評価と次の一手の提案にあると思います。これには、決断と責任を伴いますが、それは、国家資格を持つ医療職として当然のことです。当日、お目にかかれるのを楽しみにしております。
「パートナー制度の導入の目的とは」
日本在宅薬学会理事長 狭間研至
新しい概念を導入する目的はなにか。これを間違うと、話はあらぬ方向に向かうということは、日常的に私たちがよく経験することである。日本における薬局補助者の役割を考える際にも、このポイントは外さないようにしたいと考えてきた。
もし、薬局補助者の導入が、現状の薬剤師の労働環境と米国テクニシャン制度を念頭に置いた、薬剤師の負担軽減や経営効率の向上を目的としたものであってはならないことは明確に申し上げておきたい。というのも、薬剤師の業務が、病院・薬局を問わず、医師が発行した処方箋を応需して、その内容を監査し、必要な疑義照会を行ったあと正確・迅速に調剤し、わかりやすい服薬指導とともに医薬品をお渡しするという業務であることが多い現状のままで、薬局補助者を導入すると、一時的には薬剤師の過重労働の改善や薬剤師不足の解消、さらには経営効率の向上は図れるかも知れないが、調剤報酬の引き下げは必然的に起こるだけでなく、中長期的には薬剤師不要論にまで行き着きかねないからである。では、薬局補助者の導入は不可能か、というと決してそうではない。重要なのは、この新しい概念を我が国導入する目的は何かということである。
私は、我が国が抱える地域医療の問題点の1つは、多剤併用、薬剤性有害事象だと考えてきた。これを解消するためには、調剤を担当した薬剤師が、薬をのんだあとの状態も薬学的にフォローアップし、薬学的知見に基づく指導義務を果たすことが必要でああり、これこそが、薬局補助者導入の目的である。ここをはずしてはならない。そのためには、以下の3つがポイントになる。
①薬剤師が調剤した薬剤を服用したあとの患者の状態を把握すること
②これらの状態を薬学的にアセスメントし改善策も含めて医師にフィードバックすること
③薬剤師が対人業務に専念するための時間・体力・気力を温存すること
本会では、2009年より「薬剤師のためのバイタルサイン講習会」を行ってきたがこれは、①のためのツールを手に入れていただくことが目的である。
また、2011年から始めた「薬局3.0セミナー」や2013年から始めた「認定薬剤師セミナー」で取り上げた内容の多くは、②のための薬学的知識をブラッシュアップしていただくことが目的となっている。
ただ、この2つだけでは、実際の現場で薬剤師の過労を招き、経営効率も一気に悪くなるため、様々な混乱が起こることが明らかになってきた。そこで、生まれたのが、薬局補助者を薬剤師業務をトータルに支えるパートナーと呼び、薬剤師が患者のそばに赴き、薬学的専門性を活かしながら対人業務に取り組むための時間・気力・体力を温存させることである。
2013年ごろより私が運営するハザマ薬局で「パートナー制度」を導入し、試行錯誤を繰り返した結果、失敗は数多くあったが、ようやく方向性が見えてきた。その経験を踏まえれば、これらのノウハウを日本在宅薬学会認定パートナー制度として広げていくことは、とりもなおさず、全国の薬剤師の働き方を変えていくきっかけを創ることだと確信している。
パートナー制度の普及は、薬剤師の対人業務へのシフトを可能にし、その結果として薬物治療の質的向上を図ることが目的である。是非、このポイントを外さずに、「パートナー」という新しい職種の確立と育成を進めていきたい。
今日は、思温病院での接遇研修でした。スーパーホテルの接遇も手がけられた先生にお越しいただき、
1年半にわたる接遇プログラムのキックオフでした。全職員一度は無理なので、3回にわけて、今日が3回目でした。
私も、参加しグループワークを一緒に行いました。
医事課や総務、介護士、看護部、栄養科、薬剤部、リハビリ科など、全ての部署から参加していました。
3時間のワークショップはあっという間。私も自分のワークショップをする際のヒントをいくつかいただきました。
でも、そんなことより、本当にうれしかったことは、
日頃忙しくて、なかなか話せないスタッフの声を色々と聞くことができたのですが、
みんな、明るく、前向きで、この病院をもっと良くしたいという思いに溢れていることでした。
まだまだ課題が山積していますが、このスタッフとならやっていけると、改めて思いました。
私が自分の薬局で何となく感じたあの感覚に似ています。
きっと紆余曲折はあるでしょうが、みんなで力を合わせて乗り切っていきたいと思います。
うちの薬局のスタッフとも、また、定期的に企画しようっと。
僕は、院長になってから1年あまり、病棟での担当医はしていません。ただ、療養型病床の患者さんの院長回診は行っていました。
目的は、担当医の補助とセカンドオピニオン的なもの、さらには、栄養・リハとの調整や、減薬に向けた取り組みなどでした。
この3月1日から、地域包括ケア病床を60床稼働させています。60日後の退院に向けてとなると、医療のあり方は大きく変わります。
医師の強みは診断と救命。しかし、診断は概ねついており、いざとなるような救命が必要なシチュエーションはそれほどありません。
日々の治療は薬物治療で、その適正化を考えるとなると、薬剤師。
自宅や施設に帰っていただくためには、ADLの向上が必要ですから、理学療法士。
さらには、お口から食べられるか、胃瘻から栄養を考えるか、というところで、管理栄養士。
お金の面も含めて、社会的な環境を支えるためには、地域連携室スタッフ。
これらのメンバーが、それぞれ専門性を発揮しなければ、地域包括ケア病床から
地域に帰っていただくことが難しくなります。
とりあえず、現場でがんばってみます。
先日、ちょっとした傷ができて、かかりつけ整備士wの大西さんに
連絡したところ、「代車用意できました」とのことで、今日、夕方に
行ってきました。
いつも、穏やかな大西さんは、
「センセ、Aクラスでちっちゃいんですけど…すいません」
と言ってくださるのですが、いえいえ、代車があるだけで
助かります、とお礼を申し上げ、いそいそと帰ってきました。
乗ってみて思うのは、メルツェデス(故徳大寺巨匠風)は
どのクラスも、インパネ周りは共通で、乗った瞬間に
基本的な操作方法は統一されていて、すぐに、
走り出すことができます。
そんなことを考えていると、ちょっと、思いだしたことがありました。
僕が学生のころに、メルセデスとかMBとか言うヒトはほとんどいなくて(除く徳大寺巨匠)、みんな、ベンツ、ベンツ
と言っていました。当時、車種は極めてシンプルで、ゲレンデやSLはありましたが、基本は、おっきなS、ミディアムのE、そして、コンパクトな190Eというラインアップでした。
Sは、W126の時代で、560SELというロングボディーが町中を闊歩していましたが、バブルの名残もあり、
ちょっと、訳あり(!?)な感じのヒトが多かったような。
Eは、W124の時代で、これぞ、ミディアムの世界標準のような形でした。最善か無か、というキャッチフレーズが
生きた最後のオールドメルセデスという触れ込みを、雑誌を見ながら、へー、へーと言っていたものです。
190Eは「小ベンツ」とも呼ばれていましたが、非力なエンジンながら、どこを切り取ってもベンツというような
ことで、その後、エボリューションとか、えぐいやつが出たり、スポーツラインが出たりと、あくまでフォーマルな
SとE(除くAMG、ケーニッヒちゅうのもあったなぁ)と対照的な路線を切り開こうとしていました。
当時から考えると(といっても20年以上前ですが)、今の、A,B,C,E,M,R(もうないけど), S,Vなどに
GLEとかSLKとかもうわけわからんようになっています。
メディセオさんが定期的に全国で
医療機器フェアを開催されています。
薬局だけではなく、開業医の先生向けに
医療品や医療機器を展示する、
いわゆる販促企画です。
その際に、セミナー会場がしつらえられていて
私も時々呼んでいただいています。
今回は京都でしたが、前日、京都であったことも
あり、宿泊してお伺いしました。
一般の講演会場と違い、広い会場の一角を
パーティションで区切ってあるので、天井が高く
自分の声が帰ってきません。
また、会場の喧噪というかざわめきも入ってくるので
ちょっとやりづらいのも、正直なところですが
参加していただいた皆様の熱気が吹き飛ばしてくれました。
午後からは、大阪に向かいました。
今から2年半ぐらい前。講演会の後に、ご挨拶に見えられた先生が、講演をお願いしたいと切り出されました。
お話を聞くと、堀美智子先生をお迎えしての勉強会を
定期的に行っていると。
もちろん、お断りする理由はなく、喜んで!とお伝えし
で、日程は?と聞くと、2017年の2月だと。
2017年?と2回聞き返しました。
だって、再来年のことです。
「あいてますか?」と尋ねられたので
「もう、がばがばに!」とお伝えしました。
でも、どんなに先の日程も、決めれば必ず来ますよね、
いつもの通り、好きなことをお話してきました。
ありがとうございました!
長崎県薬剤師会の生涯研修に
呼んでいただきました。
諫早での開催でしたが、空港までお出迎えに
きていただき、その後、うなぎをごちそうになりました。名産だそうです。150年以上続くお店でした。おいしかったです。
その後、会場に移動。
休日にもかかわらず、大変多くの方に
お越しいただきました。
熊本県薬剤師会の先生に、震災の時の
対応についての講義もいただきました。
備えなくてはいけないなと
改めて思いましたが、大阪に住んでいると
ちょっと不安ですね。
夕方、ちょっと早めに会場を失礼させていただき
空路、大阪に戻りました。
長崎は、近いですね。
また、何度か寄せていただくことになりそうです。
愛知県に行ってきました。
薬剤師や薬学生の転職・就職支援をする(株)ユニヴさんの
在宅療養支援セミナーです。
実は、シリーズを変えながら、もう4ー5年は担当させて
いただいているでしょうか。最近は、ファーネットマガジンという雑誌でも連載を担当させていただいています。
人材紹介会社のセミナーって、きっと、アレだろ!?
二言目には、こっちに就職しろっていうんだろ?
と思われるかも知れませんが、実は、私もある意味では
驚きで、そういうことが全くないのです。
社長さんのお考えで、単純に情報提供というか、勉強会としてのセミナーだけなのです。
今回も、名古屋の駅前の貸し会議室で行われました。20名ほどお越しいただたでしょうか。実際に現場で活動されている薬剤師さんだけでなく、薬局経営者、さらには、以前卒後教育セミナーを担当した金城学院大学の学生さんが、もう一度聞きたいと来ていただきました。
いただいた時間は、150分。結構、がっつりお話をしました。休み時間は10分ですしね。
みなさん、色々と考えるところもあられたようで、終わった後は一種独特の雰囲気が流れていました。
次回は、2月19日に福岡、4月9日は広島で行います。
無料ですが、私のテンションはいつも同じです。よろしければ、是非、お越しください。
広島県に行ってきました。
呼んでいただいたのは、日本医業経営コンサルタント協会の広島支部の先生でした。以前にも、何度か私の講演を聴いていただいていたとのことで、熱烈なラブコールを送っていただきました。ありがたいことです。
当日は、40名の会場がほぼ満席で、2時間の講義を担当させていただきました。
薬局を経営されている方だけでなく、メーカーさんや会計士さんなども、お越しでした。少しでもお役にたてる話ができればと、考えていることをすべてお話しました。
やはり、思うのは、今の薬局のあり方や薬剤師の位置づけは、限界が訪れているということです。色々な意味で。
そして、それを変えるためには、行動を起こさなくてはならない。イノベーションとは何か?それは、始めることではなく
終わらせることだ、と改めて思います。
人間は、私を含めて、本能的に変化を嫌います。でも、変化に順応することが生き延びていくというか、未来を切り開いていく
ためには、極めて重要なのだと思います。
真剣に、食い入るように私や画面を見つめながら、ご参加いただいた皆様に、改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました!
今から、7年前。
好きなこと、しゃべってますね〜。
調剤薬局が、薬学教育6年制の導入などを踏まえ、今後は在宅医療支援も行う、多機能型の薬局へと変容する…とか。
薬局の業務展開の変化が、日本の医療を変えるきっかけになるのでは?とか。
次世代型コミュニティファーマシーとでは、第一類薬の販売をしつつ、状況に応じて医療機関への受診勧奨を行うなど、医師にかかるためのフロントラインになる、とか。
いやはや、薬業界の重鎮もたくさんいらっしゃるなかで、よう言うた、と。まさに、AKYだったんですね。あえてかどうかは知らないけど。
ただ、半信半疑で言っていたことが、なんとなく、その通りになってきている…。
私の裸踊りに続いてくださった薬剤師の皆様のおかげです!
ありがとうございます!
2006年の12月。
弊社の30周年を記念して小さな会を催しました。
その際に、社長になって3年目ぐらいだった私でしたが
いわゆる、門前薬局のあり方に数多くの課題や限界を
感じていたこともあり、「これから、100店舗目指して
がんばります!」と言う気になれませんでした。
色々と考えていたときに、薬局はこれから変わるのだ、
変わるべきだ、と考え、薬局3.0というアイディアを
思いつき、そのことを、お話しました。
来たるべき超高齢社会の到来は、患者さんの疾病構造や人口動態を変え、地域医療ニーズが変わることとともに、
新しい社会保障制度が求められる。そうなると、いわゆる門前薬局のあり方は、変わるはず。
しかも、大規模な調剤薬局が市場を席巻しようとし始めていた時に、小さな薬局ではどうしようもなくなるわけで、
小規模薬局の若社長としては、ごまめの歯ぎしりというか、もう、変わるしかないと思ったわけです。
そこで、私たちは、門前薬局から離脱し、第2世代から第3世代へと移行する。薬局3.0を目指すと宣言したわけです。
時期尚早だったというべきか、結果的には、この決断は、一時的に大変な事態を招きました。
また、その影響は、数年続きました。しかし、10年前からは信じられないことですが、時代は本当に大きく変わりました。
患者のための薬局ビジョンで、門前からかかりつけ、そして地域にという方向性が明示され、立地から機能、対物から対人、
バラバラから1つというキーワードも示されたわけです。
僕は、お酒があまり飲めません。30代半ばぐらいからは、少し飲めるようになりましたが、それでも、ビール一杯で真っ赤になって、眠くなります。
お酒の味も、基本的にはよく解りません。ただ、素人というのは、ある意味で残酷なもので、美味しいとか、美味しくないというのは、わかるけれど、それを表現してみろと言われると、できないというやっかいなものです。
私もその通りで、お酒の味の代表格であるワインは、よくわかりません。ビールは苦さを乗り越えると、のどごしというかそういう意味でおいしいな、と思うし、日本酒は、のみやすいものと、そうでないものがかなりはっきりしていると思ってきました。でも、ワインは、わからない、という時期が結構長くありました。
ただ、今から10年ほど前、医局の先輩の先生に連れて行ってもらったお店で、まずコレを飲め、次はこれだ、最後はコレね、というのを飲ませていただいて、「あぁ、世の中の人がワイン、ワインというのは、こういう意味か!」と感動したことがあります。それぐらい衝撃的に美味しかったわけです。
しかし、そんなタイミングにはなかなか巡りあいません。ありがたいことに、ワインをいただくことも時々あり、それらを折に触れて頂戴しては、あぁ、なるほど、おいしいな、というものでした。
今日は、東京で日本在宅薬学会の認定薬剤師の試験でした。
北海道から沖縄まで、全国からたくさんの薬剤師さんたちが口頭試問に臨んでくださいました。ありがたいことです。
試験官は、認定委員会の先生や実際に認定薬剤師となって活躍している先生が担当してくださいました。これまた、大変ありがたいことです。
2年前、手探りで始めた試験は、私が一対一で面接し、あぁ、この先生となら、一緒に在宅回りたいな、と思う先生をお願いしました。それからわずか2年の間に、状況が激変したことは、驚きではありますが、大変うれしいことです。
私は、控え室で接客係を担当しましたが、本当に色々な方がチャレンジしていただいていることに改め感謝しておりました。
この認定制度は、公益社団法人薬剤師認定制度認証機構による第三者認証を受けたもので、在宅領域の認定制度では、現在のところ唯一です。
この認定をきっかけに、業務を大きく変えた薬剤師さんもちらほらいらっしゃいます。ありがたいことですね。
もし、興味をお持ちの先生がいらっしゃいましたら、こちらをご覧ください。
受験生の皆さん、試験官の皆さん、そして事務局の下別府さん。ありがとうございました。お疲れ様でした。
遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
昨年に引き続き、今年も、色々なところからお声をかけていただいております。院長、社長、理事長など、色々な役割があるなかで、バタバタはしておりますが、できるだけ、都合が付く限り、お話におうかがいしています。
昨年は、190回を超える講演・講義・セミナーをさせていただきましたが、私の講演が何かのきっかけで翌日からの行動が変わる方がお一人でもいらっしゃれば、という気持ちで続けております。今年もがんばります。
というわけで(?)今年の1回目は、阪神調剤ホールディングさんの第1回の社内学術大会に特別講演ということで呼んでいただきました。
会場も、豪華でしたが、熱気溢れる大会で、年の初めにこのような会を開催されるというのは、すばらしいことだなぁ、と一薬局経営者としては、勉強になりましたし、また、こうなれるようにがんばらなくては、という思いを強くしました。
薬剤師だけでなく、事務の方も多数の参加があり、それぞれに研修、口頭発表、ポスター発表がありました。参加型というのは大変重要なことであり、その仕組みが上手く機能していました。すごいですね。いつもお世話になっている先生にも、お会いして、アウェイのようなホームのような、そんな雰囲気でお話させていただきました。
実は、阪神調剤さんが、最初のお店を出されたのは1976年ということで、私どもと全く同じ年です。(写真は1978年4月、僕の弟の入学式の時でしょうか)。
その時に弊社の会長が始めたのは、成長期の後半にあった、薬局1.0でした。ほどなく成熟期の淘汰の時代に入り、ナショナルブランドの商品を、適時入荷・陳列して販売するというモデルでは、ドラッグストアや大型小売りと太刀打ちできなくなっていきました。
そこで、漢方相談を中心とした健康相談薬局に舵を切り、1998年より保険調剤に本格参入したという薬局です。
その時に、阪神調剤さんは「保険調剤」を主業務とする薬局を開店、その後、導入期の試練を超えて成長期の波にのり、今や知名度も実力も極めて高い保険薬局チェーンの1つになられました。
昨日、大阪府立国際会議場12Fの特別会議室において
私どもの40周年記念講演会・パーティを開催させていた
だきました。
いつもは学会や研究会でお邪魔するこの会場に
私の薬局の名前が掲示されているというのは
ちょっと妙な感じもいたしましたが
色々な思い出のあるこの会場で、私どもの
節目を祝うことができたのは、大変うれしく
また、感慨深いものがございました。
また、年末の、今年最後の休日、さらには三連休初日
という条件にもかかわらず、多数のご出席を賜りました
ことを、改めて感謝申し上げます。
記念講演の1つは、関西学院大学の玉田俊平太先生にお願いしました。
先生を存じ上げたのは「日本のイノベーションのジレンマ」というご著書がきっかけでした。
持続的イノベーション(=改善)に固執していると
時に業界におこる破壊的イノベーションに適応できず
市場から撤退していくことがある、というお話は
大変感銘を受けるとともに、今の保険薬局業界においては
ほぼ同じ事が言えるのではないかと思ったからです。
人づてにご紹介をいただき、関西学院大学のキャンパスまで
おうかがいし、2時間ほど、色々とお話させていただき、ご快諾をいただきました。
薬局業界にとどまらず、色々な業界の方がお越しであったので、共通するテーマとして
イノベーションとは?というところから、考えることができれば、記念講演会としての
役割(?)も果たせるかな、と思いました。
ご報告:
この度、公益財団法人昭和大学医学・医療振興財団より
平成28年度の「昭和上條医療賞」に応募したところ
なりました。
内容としては、一般社団法人日本在宅薬学会での
活動をご評価いただいたことになります。
教育の専門家でも何でもない私が
このような賞をいただくようなことになるとは
ちょっと意外というか、恐縮なのですが、
この学会に出て色々とお話を伺っていると
「この会と出会って人生変わりました!」
と言う方が、少なくないことに気がつきます。
教育とはどういうものか人によって解釈は異なると
思いますが、ある概念を取り入れることで、その人の
あり方が変わるというのが、教育の効果だと思います。
そう考えると、手探りで、無手勝流でやってきたことが
丸7年を迎えようとする中で、ようやく、方向性が
見えてきたということなのかも知れません。
共に活動してきた皆さんとこの朗報を分かち合いたいと思います。
講演会 第6回フレンドシップサロン 「医療と街づくり」
~ 新生成人病センターの概要 & 地域包括ケアによる福祉のまちづくり ~
今回のテーマは「医療と街づくり」です。
せた分子標的薬によるプレシジョン・メディスンも広がりつつあり
増大の抑制も国家的課題です。今回のフレンドシップサロンでは、
する国際がんセンタ-のご紹介と、これからの社会医療の在り方を
点で講演会を開催致します。参加費
:資料代1,000円/人(
■開催要領
日 時:平成28年12月5日(月)14:00~17:30 懇親会:17:50~レストランマイドーム(¥3,000円)
会 場:大阪商工会議所 401号 主 催:大阪商工会議所、(―社)生産技術振興協会
参加費:資料代1,000円/人(カラー資料・中綴じ製本) 定 員: 150名(先着順)
■講演内容
1.大阪府立成人病センターから大阪国際がんセンターへの再生
大阪府立成人病センター 総長 松浦成昭
大阪府立成人病センターはわが国初の成人病センターとして195
て頂いています。近年、
区に移転することにしました。最新の放射線治療が可能な重粒子線
供するとともに、患者の視点からのサービスにも努め、
考え、名称も大阪国際がんセンターと変えることにしました。
ビジョンを総長自身が皆様にご紹介させて頂きたいと存じます。
2.「超高齢化対応の「健幸社会」を創造する視点」-Smart Wellness Cityを具体化するプラットフォーム‐
筑波大学 大学院人間総合科学研究科スポーツ医学専攻 教授 久野譜也
わが国では高齢化の加速度的進行と人口減少が進むことにより、
の健康状態に最も大きな影響を及ぼすのは、
らに、今後これに認知症への対応が深刻化するでしょう。
動・食事など)に加えて都市環境、ICT、地域経済力、
にされているエビデンスに横串を刺した総合的な取り組みが必要で
City (SWC)と呼んでいます。本講演ではSWCの方向性について話
3.地域包括ケアにおける薬局薬剤師の役割 ファルメディコ株式会社 代表取締役社長 狹間 研至
高齢化と少子化が同時に進行する我が国では、「地域包括ケア」に
れたものとは異なる地域医療や社会保障制度の在り方が求められて
方で、医療従事者(特に医師)が急増しない我が国において、
る社会資源として捉えることの意義は大きいと考えます。しかし、
明をするだけの薬剤師に改革が必要です。本講演では、医師、
たすべき薬局薬剤師の新たな役割を、
お申し込みは 下記のHP もしくは FAX 06-6944-0605 で受付けます。(定員150名)
http://www.seisan.server-
何か、最近忙しいよなぁ、って思っていました。
スケジュール繰ってみたら、こんな感じ。
11月 3日(祝) 富士薬品(株)社内講演会(東京)
薬剤師あゆみの会在宅セミナー(東京)
11月 4日 (金) 愛知学院大学薬学部講義(愛知)
11月 5日 (土) じほう薬局経営セミナー2016(仙台)
11 月 6日 (日) ほくたけHD社内研修会(札幌)
11月10日(木) 高齢者住宅フェア講演会(大阪)
11月11日(金) 近畿大学薬学部講義(試験)(大阪)
社内会議での発表(思温病院)(大阪)
11月12日(土) 豊田加茂医師会講演会(愛知)
11月13日(日) 近畿薬剤師学術大会記念講演(大阪)
11月14日(月) 福岡臨床薬学セミナー(福岡)
11月16日(水) 兵庫県地域医療薬剤業務研究会(兵庫)
11月17日(木) プレスリリース向け発表会(大阪)
芳賀郡市薬剤師会学術講演会(栃木)
11月18日(金) 近畿大学薬学部講義(大阪)
11月19日(土) じほう薬局経営セミナー2016(福岡)
11月20日(日) じほう薬局経営セミナー2016(東京)
11月23日(祝) 日本在宅薬学会フォーラムin関東(東京
(昨日訪れた、博多駅のイルミネーション。陥没地点の近く) 11月25日(金) 近畿大学薬学部講義(大阪)
11月27日(日) じほう薬局経営セミナー2016(札幌)
11月28日(月) 就実大学薬学部講義(岡山)
どこにいっても、有り難いのは、薬剤師さんも、医師や看護師も、また、介護職の方も、
なるほど、そうか!と思っていただける方がいらっしゃること。
最近は、なんだか旅芸人のようだと思う瞬間もありますが、お声がかかっているうちは、がんばっていこうと思います。
12月以後の予定も、色々詰まっております。原稿も常に残っております。時間を大切に使っていかなくっちゃ。
講演ではよく話をするのですが
僕の実家の隣はスナックでした。
ちょうど、8トラックのカラオケが全盛だったころで
この隣のスナックには、夜な夜なお客さんが集い
楽しそうに歌っていました。
当時、小学生だった私は、これらの歌を毎晩毎晩
聞いていましたので、小学校5年生の林間学校に
行く途中のバスのなかで、最初に歌った歌は、
小林旭の「昔の名前で出ています」でした。
そのほかにも、「夜霧も今夜もありがとう」とか
「銀座の恋の物語」とか、「大阪しぐれ」とか
だいたいの歌は、イントロを聴けばさびがわかり
ましたし、歌詞もだいたい覚えていたものです。
昨日、病棟を回診していると、食事の時間が近づいた
みたいで、ADLが比較的良い患者さんは
ディルームに集まってきました。
そのころに、CDラジカセ(!?)から、懐メロが
流れてきたのですが、それが、「昔の名前で
出ています」でした。
思っていたよりも大音量で、廊下を歩きながら、聞くとも無く聞いていたのですが、驚きました。
なぜなら、歌詞の意味がわかったからです。
今までも、歌詞は覚えていましたが、それはお経のようなというかなんというか、意味まで理解しているか
といえば、それは小学生には無理ですよね。
それが、今は、わかる。おっさんになったものです。
ま、それは、それで、いいか。
人材は人財と言います。その代えがたい財産となる新人を
来期もお迎えすることができそうです。
というわけで、内定式を行いました。
薬剤師さん1名(博士課程修了予定)、薬剤師候補3名、管理栄養士候補1名、パートナー候補4名という構成でした。
会社からは、薬剤師、パートナーをはじめ、本社のスタッフも多数参加して、賑やかな内定式になりました。
新卒入社というのは、一生に一回しかありません。そのような貴重な機会に、私たちを選んでいただいたことを、改めて感謝申し上げるとともに、私たちと是非一緒にがんばっていこう!というお話をしました。
終わったあとは、懇親会を近くの中華料理で行いました。少しお酒も入って、緊張も少しは解けたのか、内定者の皆さんからも色々なお話が聞けました。
うれしかったのは、今のうちの薬局での薬剤師やパートナーの仕事をみて、こんなことをやってみたい!という方が、応募し、選考を受けてくれたことです。
現在の薬局の在り方ややっていることを最初に思いついて、不格好ながらやってみたのは私ですが、やはり、様々な問題や課題が山積していました。それらにがっぷり取り組み、試行錯誤を繰り返し、明日を信じてやってきてくれたのは、歴代の、そして、現在の薬剤師やパートナーや、本社のスタッフです。そのメンバーをみて、入社を決断してくれたわけです。有り難いことです。
今日は、大阪でバイタルサイン講習会でした。
私の手元の記録によれば、2009年以後、79回目の
バイタルサイン講習会でした。
この講習会で、ずっと冒頭でお話をしているのは
受けに来ていただいた方に、
「今日を薬剤師人生の、そして、願わくば
人生のターニングポイントにして欲しい」という
ことです。
別に台本を作って話をしているわけではないのですが、この講習会を始めてしばらく経ったころに、自然と口をついて出たフレーズです。
とはいえ、自分の人生もままならないのに、人の人生をとやかくするなんて、我ながら思い切ったことを言うわ、と
思っていました。
ただ、この2ー3年ですか、この講習会が薬剤師としての人生、ひいては、人生そのものがかわるきっかけになったと
いう方とちらほらお合いするようになってきました。
お世辞半分、みんな、やさしいな、と思ってきましたが、どうも、お世辞ではないということを改めて感じるような
ケースにいくつも出会ってきました。
今日も、そうでした。
本当にこの講習会がきっかけで、人生を大きく変えたんですね、という方に、今日は何名もお目に掛かりました。
ありがたかったです。
そして、思いました。
そう、僕自身も、この講習会で人生が変わっている、と。
願わくば、と思っていたことは、叶っていました。
こういう驚きや喜びが、私の原動力になるのだなとあらためて思いました。
ありがとうございました。
私が大学に入ったころ、個人情報とかは本当にゆるくて
同級生で名前や生年月日、出身高校や実家、下宿の住所や電話番号(固定電話の)を書いた名簿は慣習的に作られ、配布されていました。
大学受験のプレッシャーから解放されたためか、B5サイズのその用紙に、ちょっとしたアピールが書かれたりしていて、配布された名簿を読みながら、クスッとしたり、そういう人なんやと思ったりしていました。
その最初の方に、大阪の公立高校出身で、ちょっと、僕より2つほど年上の人が載っていました。あぁ、あの高校の…と思いながら自由記載欄を見ると、ちょっと特徴のある字で「3年の刑期を終えて、シュッショしてきました。多少年は食っていますが、仲良くしてやってください。」と書いてありました。
最初は、どういうことかわからなかったのですが、大学に入るのに、3年ばかり余計に勉強したということは、あとでわかりました。大学では野球部に入り、がんばって活動していることは、傍目には知っていましたが、僕は後半のクラス、彼は前半のクラスということであまりふれあいはありませんでした。
卒業のころ、僕は第1外科に、彼は腫瘍外科に進むことになりました。1年の研修を終えて、大阪府立病院に出張すると、彼も出張してきて一緒になりました。僕は消化器一般外科、彼は救急部で修練をつみながら、ともに臨床研修部で過ごす2年間でした。時々、病棟や廊下ですれちがったり、麻酔科ローテートの時には、お互いの手術についたりしていました。
その後は、直接一緒に働く時期は無かったのですが、私のバイト先の看護師さんが手術を受けられることになって
その担当が偶然彼だと言うことがわかり、数年ぶりに電話で話をしたことがありました。
電話口の彼は、昔の優しく、楽しい雰囲気はそのままで、信頼できる外科医という感じがあふれてきて
頼もしく思いました。
そんな彼が、逝きました。
以前から、そういう状態だとは同級生から聞いていましたが、いよいよその日が来てしまいました。
昨日、お別れに行ってきました。祭壇の写真は、若々しく、昔のままでした。
同級生にお焼香するなんて、複雑でした。
まだ、50前。早い。早すぎる。
お母様とも少し話をしました。
KCをきちんと身につけた彼は、僕の知っている面影そのままで眠っているようでした。
お別れを言って出るときに、「健司の好きだった珈琲です。味わってあげてください。」と渡されました。
今日、折角なので、いただきました。渋い珈琲でした。
赤澤くん。またね。安らかにお休みください。
そういう時代だと思うのですが、高齢者施設のご入居者やそのご家族に認知症のお話をして欲しいという
ご要望をいただくことがしばしばあります。
専門の先生にわかりやすくしていただくのが一番良いのですが、なかなか難しく、いわば門外漢の私が
お話させていただくことになります。
一応、教科書や資料を見直して、間違わないようにするのですが、医学生に診断の話をするわけでもなければ
認知症にいいというサプリメントが売れるようなセールストークをするわけでもなく、
一般の方に、正しい知識を持っていただいて、何か変だと思ったら、医療機関へ受診していただくのが目的の
お話をするわけです。
そんなセミナーのときには、認知症と物忘れの違いを説明しています。
認知症は病気だけど、物忘れは老化とともに誰にでも起こりうる状態だと。
で、どう違うかというと、認知症はあったこと全部を、まるで、すぽっと
抜けてしまうように忘れてしまう。その一方で、物忘れは、所々が
思い出せないのだというお話をします。
たとえて言うなれば、昨日の昼ご飯なんだったけな、と思いながら、
どこでどんな風に食べたかが、もやっとは思い出せるのだけれど
正確に言えない、というのは物忘れ。
「ご飯、食べていないですよ」と、昼食というイベントがごっそり
抜けているのが認知症だと。
少し詳しく言うと、起こったことを一時的に記憶する部分に不具合が生じているが
古い記憶の部分は思い出せる時期が、認知症が進行するまではあるので、
言うなれば、昨日の昼ご飯は思い出せないが、小学校の遠足のお弁当は
覚えているという状況に似ている、と。
期せずして、病院に診療活動の拠点を移して
1年あまりが経過しました。
無我夢中というか、何というか、あっという間に
時間が過ぎ去りましたが、ちょっと気がついたことが
あるので、書き留めておこうと思います。
最初に病院を見学に来たとき、設立40年を越えた
190床あまりの病院は、お世辞にもきれいとは言えず、
また、ちょっと見学させていただいた病棟や
外来で展開されている医療にも、いくつも
課題があるように思いました。
もちろん、その課題の多くは、今も残っていますが、
病院での診療を行っていく中で、何とかしなくちゃ、
という思いと、答えは現場にあるはずという妙な
確信で毎日を過ごしてきています。
そこで感じたことは、中小病院も変わっていかなくてはならないということでした。
高度成長期時代には、団塊の世代の医療ニーズは、その社会的背景も相まって、急性疾患に対する
急性期医療が多くを占めていたと思います。
また、医療技術自体も、現在ほどは進んでいなかったなかで、大学病院や国公立病院、地域の基幹病院で
ある程度の経験を積んだ先生が、独立し、病院を行うという時代はあったのではないかと思います。
その頃の中小病院は、外来を持ち、二次救急指定病院となり、手術室でも手術はそれなりにあるという
ことだったのかも知れません。
しかし、やはり、我が国の高齢化が進む中で、中小病院の在り方も大きく変わってきたようです。
医療技術が急激に進歩し、基幹病院ほどの治療を行うことが外科、内科を問わず難しくなってきました。
病院の階層化が進められ、看護師の配置基準が定まり、場合によって多くの中小病院は、
生活習慣病や慢性疾患の外来機能は残すものの、病棟としては、高齢者の長期療養の場所として
機能することで、時代の医療ニーズに応えてきたのではないかと思います。
そして、超高齢社会に突入し、地域包括ケアシステムという概念が厚生労働省から提唱され、
「高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援」「住み慣れた地域で最期まで」ということを
具現化するために、在宅療養の推進、在宅死比率の向上、高齢者住宅の整備といったことが
一気呵成に行われてきたのがこの10年ぐらいでしょうか。このような背景の中で、
中小病院も、従来通りの、外来機能+長期療養機能みたいな感じでは、地域医療ニーズに
十分に応えることが難しくなっているのかも知れないと思いました。
言うなれば、中小病院も、変わりつつあるということです。
ミニ大学病院を目指し急性疾患を治療した時代=1.0
地域の慢性疾患の外来・療養を支えた時代=2.0
地域包括ケアシステムのハブとなる時代=3.0
というような感じでしょうか。まだ、わかりませんが、なんとなくの直感です。
これからもうちょっと精査していこうと思います。
この話が、嘘かホントかはわかりませんが、中小病院の在り方が変わっていくことは、どうも確実なようですし、
そのことを、トップが理解し、スタッフに伝え、組織を変えていくというステップまでつなげていければ
地域において、私たちが提供できる医療の質は大きく変わっていくはずだと思っています。
先日の朝、病院に出勤したらお掃除を担当してくださっている方が、ご挨拶したあとに、「先生、ランが。」とおっしゃいました。
一瞬、僕が走っていることご存じなのかな、と思って、頭の中は????となったのですが、良く聞くと違いました。
私が以前、いただいた胡蝶蘭がありました。事務の方が色々とお世話をしてくださったのですが、1ヶ月あまりで花が落ちてしまいました。
で、そのあとは、医局の前の廊下にぽつんと3本の茎だけになった胡蝶蘭の鉢がおかれていましたが、それに花が付いたと。
あとで見に行ってみると、確かに4つの白い可憐な花が咲いていました。1つはまだつぼみの状態でした。
「ちゃんとしてたら、花が咲きましたよ」と言われましたが、すごいですね。
今日みたら、5つめが咲いていました。
廊下がぱっと明るくなったみたいでした。
先日、あるインタビュー取材を受けました。私どもの学会のことも取材に来ていただいていたり、私自身もご縁があって
何度か原稿を執筆させていただいたりしていましたが、インタビューは始めてでした。
いつもは、会社の事務所で取材や面会はすることが多いのですが、今回は、ちょっと時間が難しく
思温病院までお越しいただいて取材をお受けすることになりました。
取材に来られた2名の方はいずれもお話しやすい感じでした。つかみの質問は、取材にわざわざお越しいただいたことも
あってか、「この病院はいったいどういう経緯で…?」という内容でした。
あぁ、それは、と簡単に経緯をお話しはじめたのですが、聞きだし方がお上手というか、絶妙というか、
元来、しゃべりな私は途中から、黙ると死ぬんかという勢いで、がーっとしゃべっておりました。
ひとしきりお話したあと、その方がおっしゃいました。
「いやぁ。以前から色々とご活動や原稿などを拝見させていただいていましたが、薬局、薬剤師がんばれ!と
いうお医者さんかと思っていました。今日もそのつもりでうかがったのですが、実際は、かなり
医師としての立場が強くなっているのですねぇ。」と。
そう言われて、ふと、思いました。確かにそうかも知れません。
医師として過ごす時間は、10年ほど前には、全体の10%ぐらいになり、あとは
薬局の経営というか、雑事に没頭しつつ、なんとか埋もれないようにしたいとがんばってきました。
そんな時間が4ー5年はあったでしょうか。
なんとなく、在宅の薬物管理の問題は大きいなと思って試行錯誤をしていたら、同級生が
在宅療養支援診療所を開設することになり、そのお手伝いを始めたところから、医師の比率が少しずつ
増えてきました。
そして、この6年ほどは、先輩の先生の診療所で在宅訪問診療を手伝ったり、施設系在宅の
クリニックでの仕事が増えたりしてきました。
ここで薬剤師と一緒に仕事をしてきたことが、薬局や薬剤師はこうあった方がいいんじゃないかという
ことを考えるきっかけになってきたように思います。
そして、昨年6月からは、病院の勤務を再開し、8月からは在宅療養支援診療所を離れて病院での勤務をメインに。
バタバタありましたが、なんとか、方向性も見えてきました。
ちなみに、当院の機能は3つ。
1)地域の方々に医療をきちんと提供する外来機能、入院機能、そして、2次救急機能。
2)地域の基幹病院、高次機能病院の直接退院が難しい方や医療療養が必要な方のバックベッドとしての機能。
3)高齢者介護施設の入所者様の訪問診療と医療ニーズが高まった時の後方支援機能。
これは、どこかに書いてあったというより、私自身が、若かった頃の急性期病院での勤務や、在宅療養支援診療所の経験と、
薬局で在宅療養支援に取り組んできたことに加え、病院での勤務をしていくなかで、こういう機能がいるんじゃないかと
思ったものをまとめたものです。
そして、そこに、医師と薬剤師で連携した内容を噛ませてみたいと思ってきましたが、1年ほどかかりましたが、何とか
始められそうです。
常に現場に密着して、問題を体感して、そして、色々と考えてまずはやってみる。
そういうのは、結局この10年来、やってきたことと同じスタンスなんだなぁと。
正直、それほど色々と考えて受けたインタビューではなかったのですが、
私にとっては、大きな気づきをいただくきっかけになりました。
10月号の医薬ジャーナル。私も楽しみです。
お盆前は、さすがに講義も講演会もなく経過していましたが、
お盆明けから、怒濤のスケジュールになっております。
備忘録的にまとめてみました。
もし、お近くに参りますことがありますれば、是非、お運びいただければと存じます。
よろしくお願いします。
こんにちは。
2016年度の調剤報酬改定の影響が徐々に明らかになってきました。
今回は薬局経営者向け講演会についてのお知らせです。
キャリアブレインさんの主催で日本M&Aセンターさんとご一緒に
行います。
場所は、福岡、大阪、東京。
弊社の取り組みも含めて、生の声と感覚をお届けしたいと思います。
以下、メールマガジンからの転載です。
::::::::::::::::::::::::::::::::
「かかりつけ薬剤師」
調剤事業の収益は減少傾向にあり、
コミュニケーションの能力が求められるなど、
大きな転換期を迎えています。
これから薬局はどこに向かうべきか―。
新たな収益源の確保を狙い「在宅」に乗り出すべきか。
それとも、地域連携を進めるなど、国策に合わせて「
としての機能を強化させ、
収益の安定化を図るべきか。はたまた、
「M&A」を用いて他薬局の買収や店舗整理に踏み切るべきか。
このセミナーでは、今後の調剤薬局の経営に必要なことを「在宅」
「地域連携」の視点から切り取り、
厳しくなる中で生き残るための経営戦略のヒントや経営課題の打開
薬局経営者の皆さまに提供致します。
◆◆詳細とお申込み◆◆
http://www.cabrain.net/jump.
――●○ 概要 ○●――――――――――――――――――――
【日時・会場】
福岡:2016年9月11日(日) 15:00~19:10(予定)
TKPガーデンシティ博多新幹線口 4-A
大阪:2016年9月19日(月・祝) 15:00~19:10(予定)
梅田スカイビル タワーウエスト22階 A会議室
東京:2016年10月2日(日) 15:00~19:10(予定)
トラストシティ カンファレンス・京橋 京橋トラストタワー4階 スタジオ2・3
【講師】
◆狭間 研至氏(ファルメディコ株式会社 代表取締役社長)
◆渡部 恒郎氏(株式会社日本M&Aセンター 業界再編部長)
【受講料】10,000円(税込)
▽全国3会場で開催▽
福岡会場に申し込む→http://www.cabrain.
大阪会場に申し込む→http://www.cabrain.
東京会場に申し込む→http://www.cabrain.
【共催】株式会社日本M&Aセンター
――●○ プログラム ○●―――――――――――――――――
第一部「在宅に参画する“薬局3.0”という可能性」
講演:狭間研至氏(15:00~16:30)
第二部「地域医療のために連携する中堅中小薬局」
講演:渡部恒郎氏(16:40~17:40)
第三部「地域に好かれる薬局、嫌われる薬局」
講演:狭間研至氏(17:50~18:50)
▽セミナー詳細・お申込はこちら▽
http://www.cabrain.net/jump.
岡山の就実大学薬学部を卒業し、そのまま、弊社に入社してくれた崎代秀樹君。
1年目から、在宅業務に携わり、主には個人の在宅患者さんを90名前後担当してきました。
最初の2年ぐらいは、私と一緒に患者さんを回ることも多くありました。多くの場面で、私も助けてもらいました。
あれから3年が経過して、今までの経過を
日本在宅薬学会の口頭発表で発表することに
なりました。
(初日の第5会場)
その概要が送られてきたのですが、
なかなか、興味深いものでした。
何と、彼が3年の間に書いた居宅療養管理指導の報告書が3,374枚!
その内容を、まとめたものです。特に、処方変更依頼をかけたもの、さらには、その結果、処方の変更に至ったものが
どのような割合であったのかなど、詳しく調べています。
さらには、これらの報告書を受け取った医師やケアマネージャーさんにアンケートを実施。
その集計結果も発表するようです。
時間が短い一般講演なので、かなりはしょった形になると思いますが、
1年あたり約1000件、週20件あまりの居宅療養管理指導を行ってきた経験をもとに
何を感じているのか、感じていただけると思います。
それにしても、継続とは力なり。これからの彼の活躍に、期待です。
7月1日(金) 9:30-11:00 兵庫医療大学薬学部講義(5) (兵庫)
7月2日(土) 16:00-17:00 東成区医師会講演会 (大阪)
7月3日(日) 9:30-12:00 岡山市薬剤師会オープンフォーラム (岡山)
7月7日(木) 14:00- 15:00 生活科学運営セミナー (大阪)
7月8日(金) 9:30-11:00 兵庫医療大学薬学部講義(6) (兵庫)
7月8日(金) 15:00-16:30 大阪医薬品協会 講演 (大阪)
7月9日(土) 16:00-17:30 (株)アテナ25周年講演会 (熊本)
7月10日(日) 11:30-12:30 第10回 日本ジェネリック医薬品学会ランチョン (東京)
7月15日(金) 9:30-11:00 兵庫医療大学薬学部講義(7) (兵庫)
7月16日(土) 13:30-14:30 メディセオ医療機器フェア2016in関西 講演(大阪)
7月16日(土) 17:30- 19:30 第50回日本在宅薬学会認定薬剤師セミナー (大阪)
7月21日(木) 18:00−19:30 (株)真和社内セミナー (東京)
7月22日(金) 9:30-11:00 兵庫医療大学薬学部講義(8) (兵庫)
7月23日(土) 10:00-16:30 これからの医療と福祉を実践する会 特別研修会 (東京)
7月24日(日) 9:00-18:00 日本アプライドセラピューティクス学会 臨床判断ワークショップ(宮城)
7月28日(木) 19:15-20:15 第 4 回 Pharmacist 奈良循環器病セミナーSTEPIII (奈良)
7月29日(金) 13:00 -16:30 日本財団在宅看護センター 起業家育成事業 講義(東京)
17回!
がんばります。
答)「医療に係る地域活動の取組に参画していること」
・地域包括ケアシステムの構築に向けた、地域住民を含む、
・地域において人のつながりがあり、
具体的には、地域における医療・
①地域ケア会議など地域で多職種が連携し、
②地域の行政機関や医療・介護関係団体等(
地域の孤立化防止について、
やって参りましたが、
多くの顔見知りの方もできますので
・地域包括ケアシステムの構築に向けた、地域住民を含む、
・地域において人のつながりがあり、
は、満たしたのではないかと思います。
また、具体的に…というところでみておりますと、
本カフェは、①ではなく、②ではないかと思っております。
すなわち、一般社団法人日本在宅薬学会が、
「地域住民に対して研修会等サービスを提供しているその他の団体
そこが、医療・介護従事者のみの対象ではなく、
「住民への研修会等」として認められたのではないかと思います。
そもそもの発案が、孤立化防止のために何ができるかということで
始めたものですが、不思議と認めていただき、
感じでしたが、昨日の疑義解釈の内容をみて腑に落ちた次第です。
で、あるならば、
本仕組みは、多くの本会会員様にとって、
すなわち、会員様が、一般社団法人 日本在宅薬学会主催の「ご当地カフェ」を継続的に
その土地土地で開催していただき、様々な活動をすることで、
一定の時期(おそらく、2−3回行えば)、主体的・
思います。
(講師を務めなくても、
今回の大阪城カフェは、ゼロから立ち上げましたが、
その際に、
また、
実際に開催する際には、どのような準備を行ったか、
さらには、
開催当日の実際の業務などを、パッケージ化してしまえれば
それを、多くの会員様が利用して、ご当地カフェを開催することが
可能ではないかと考えております。
現在、その第一段階として、
弊社の別の店舗にて「加美健康カフェ」
このところで、一定のレビューを済ませれば
全会員様向けのメニューとして拡大したいと思っております。
その前段階として、
「薬剤師の地域活動に対する準備と実際〜
開催も視野に入れております。
また、詳細が整いましたら
改めて告知をさせていただきます。
ご意見、ご希望等ございましたら、
よろしくお願いします。
取り急ぎ。
6月の講義・講演等まとめておきます。備忘録的に。
6月3日(金) 9:30-11:00 兵庫医療大学薬学部講義(4年生) (神戸)
6月4日(土) 14:00-15:00 日本緩和医療薬学会 スイーツセミナー (浜松)
6月5日(日) 9:00-11:00 日本緩和医療薬学会 シンポジウム (浜松)
6月7日(火) 10:50-12:20 熊本大学薬学部講義(5年生) (熊本)
6月10日(金) 9:30-11:00 兵庫医療大学薬学部講義(4年生) (神戸)
6月11日(土) 14:30−17:15 薬局共創未来研究会 特別セミナー (東京)
6月12日(日) 13:00-17:05 CLINIC Station@名古屋 (名古屋)
6月17日(金) 9:30-11:00 兵庫医療大学薬学部講義(4年生) (神戸)
6月18日(土) サン薬局社内講演会 (横浜)
6月19日(日) 13:00-16:30 会社説明会 (大阪)
6月22日(水) 20:00-21:00 これからの在宅医療を考える会 (函館)
6月26日(日)10:00-12:00 ディレクター講習会 (大阪)
6月26日(日)13:00-18:00 薬剤師のためのバイタルサイン講習会 (大阪)
がんばります。
本カフェを主催する一般社団法人 日本在宅薬学会は、薬剤師会や医師会等ではありませんが、公益社団法人薬剤師認定制度認証機構の認証をうけた認定薬剤師制度を持つ一般社団法人であり、過去6年以上に亘って、いろいろな活動をしてきました。
現在、日本在宅薬学会会員の方には、このカフェを一般社団法人日本在宅薬学会のイベントとして開催していただけるように、情報の整理をすすめております。
大阪城カフェの仕組みは、どなたでも、地元で開催していただけるものです。薬剤師が、薬局という営利団体の職員としてではなく、一般社団法人日本在宅薬学会(昨年12月から本会は非営利型一般社団法人になっております)の会員として、主体的・継続的に開催することで、薬剤師の地域活動を続けることができます。
もし、「薬剤師の地域活動」が困難だという方がいらっしゃれば、本会事務局までメールでご連絡をいただければ幸いです。
さわやかな5月の土曜日。
午前中の便で、松山に向かいました。
松山は初夏の装い。すばらしい天気でした。
松山大学薬学部が10周年を迎えられたとのことで
その記念講演演者としてお呼びいただきました。
本当に、ありがたいことです。
10年一昔とは言いますが、
確かに、2006年当時と今とでは、ずいぶん
環境は変わってきていると思います。
特に、薬学部や薬学生、薬剤師を取り巻く環境は。
私自身が「薬局3.0」という概念を
一般の方に向けて口にするようになったのが
2006年でした。
当時、在宅やバイタルサイン、フィジカルアセスメント
といった内容は、ちょっと縁遠い様に思われていましたが
今や、薬学教育の中でも、生涯教育の中でも、
当たり前のように語られています。
本当に、すごい変化ですよね。
講演会は、多くの方がお越しになりました。
薬学生さんも、薬学部教員の方も、はたまた、一般の薬剤師や薬剤師会の方も…。
そういった皆さんの熱気にあてられたのか、
いつも以上に、私もAKYだったかも知れません。
しかし、今、空気を読んでまるっとした話をしていても、仕方がないわけで、
特に、折角呼んでいただいた意味も無いわけで。
終了後、懇親会を開いていただきました。
ご一緒した、もう一名の演者の先生は、
私が大阪でお世話になっている先生と大学が同期だとわかり…
世の中、狭いですね…。
昨日のことです。
名城大学薬学部での講義を終えて、午後1時半ごろに
名古屋駅に到着。
日差しはすっかり初夏。汗ばむ感じでした。
新幹線にのり、さぁ、ご飯でも食べておこうと
ネクタイを緩めて…。もう、クールビズでいいですよね。
あっという間に、新大阪でした。広島行きだったという
のもあり、寝過ごすのが心配でしたがなんとか
大丈夫でした。
新大阪で車にのって、打ち合わせのため事務所に
向かう途中、携帯電話がなりました。
誰だろうと思ってでると、いつも、お世話になっている
編集者の方でした。(電話は、ハンズフリーです^^)
先日、提出した原稿のことかな、と思っていると
「先生、先ほど、新大阪で新幹線降りられました?」
「え、降りましたよ。あ、お目にかかりました?」
「先生、ネクタイ忘れていません?」
鞄を見ると、入っていません。あ、椅子の上に
ぱっとおいてそのままになったんだ、きっと。
「すいません、忘れてます。」
「あの、先生の乗っていた車両に乗っていた人がいて…」
「はぁ」
「その方が、忘れ物に気づいて、これ、きっと狭間先生のや、ということで
私に連絡が…」
「えぇっ!?」
「送ってもらうようにします…」
「すいません、恐縮です」
お手数をおかけしました。到着をお待ちしております。
教訓は2つ。
1.これからのシーズン、外したネクタイは、鞄の中に入れるまできちんと確認する。
2.どこで、誰とご一緒しているかわからない。
3連休の最終日、映画館に行ってきました。
家から車で15分ぐらい。いつも、それなりに
空いていて、時々出かけていた映画館です。
子どもが小さいころは、ドラえもん、何度か
見に来ていました。
驚いたのは、切符売り場が大きく変わっていたこと。
事前のネット予約していた分の受け取りは、
以前から小さい機械でできていましたが、
今や、自分で操作して、好きな席を自分で決めて
現金、電子マネー、クレジットカードのいずれかで
決済するという風になっていました。
係員さんは2名ほど、ちょっと小さなカウンターを作って、そこで、割引券や招待券などのお客さんへの対応に
なっていました。
いろんなところで機械化が進んでいるんですね。
そういえば、映画安くなったな、という話を母としました。
デジタル化によって、映画技師の方が不要になったこと、
フィルムを量産しなくてもよくなったことなどの変化があって、
上映される数が飛躍的に増えた結果、1席あたりの費用は安くなったのでしょうかね。
映画は、おもしろかったです。
若いって、いいなー!
5月もいくつか講義・講演させていただきます。
5月7日(土)(東京)
国際医療福祉大学大学院講義 「医療コンコーダンス講座 IN 青山」 詳細は、こちら。
5月8日(日)(大阪)
ファルメディコ株式会社 2017年新卒 会社説明会 詳細は、こちら。
5月9日(月)(大阪)
摂南大学薬学部 講義「キャリア形成 I」(2年生)
5月13日(金)(愛知)
名城大学薬学部 講義「薬剤師の使命」(1年生)
5月14日(土)(愛媛)
松山大学薬学部 開設10周年記念講演会 詳細は、こちら。
5月21日(土)(仙台)
某薬局 社内講演会
5月22日(日)(石川)
明祥(株) 薬局向け講演会
5月26日(木)(大阪)
一般社団法人 薬剤師あゆみの会 新人合宿研修講義 詳細は、こちら。
4月はあっという間に過ぎていきました。
4月の講義、講演は、ちょっとおとなしめ?でした。
4月10日(日)(東京)
一般社団法人日本在宅薬学会 エヴァンジェリストセミナー
4月15日(金)(東京)
某社 誌上対談の収録
小グループでの懇話会での講演
4月16日(土)(東京)
某社 書籍向け対談の収録
4月18日(月)(長崎)
長崎大学薬学部 講義(6年生)
4月20日(水)(静岡)
静岡市薬剤師会講演会
4月21日(木)(東京)
星薬科大学 講義(4年生)(写真)
4月22日(金)(大阪)
サノフィ株式会社 ウェブセミナー
4月23日(土)(福岡) 日本医療マネジメント学会 シンポジウム
4月24日(日)(大阪) 一般社団法人日本在宅薬学会 ディレクター講習会・バイタルサイン講習会
4月28日(木)(大阪) 某社社内e-learning コンテンツ収録
の合計11回でした。
新入社員が入る頃、GWが始まる直前はやっぱり少なかったですが、その変わりといっては何ですが、
書き物の仕事など、満載でありました。
各地でお世話になった皆様、ありがとうございました。
来月もがんばります。
実は、某サイトのブログに書こうかと思いましたが、ちょっと、さすがに過激かな、ということで、
こっちにしました。こう見えて、臆病なんですw
話題になってますよね、かかりつけ。勤務表を患者に渡す。どうなんだ、と。
若い女性も多いのに、とか。
また、指名ってキャバクラか、と。
何があっても、24時間対応ってブラックかと。
いろんなこと、言いたくなる気持ちわかります。
でもね。患者さんにとって「かかりつけ」って、何かあったときに、特に、困ったことがあったときに
ぱっと頭に顔と名前が思い浮かぶことなんだと思うのです。
私は、そういえば、10年来「かかりつけ」にしている
車の整備士さんがいます。
いつもは、あんまり関係がありません。
でも、
「あ、警告ランプついた!」
「わ、パンクした!」
「お、なんだこれ!?」
「う、この音は?」
「車検。。。」といった時には、車を運転していても、
していなくても、名前と声と、しゃべり方と、顔が
瞬時に思い浮かびます。
いつでも、連絡してくださいよ、と言われます。
でも、電話したときや、お店に直接行っても、いらっしゃらないことがあります。
そりゃ、そうですよね。万が一、事故を起こした時で、緊急を要するものだと、保険会社にかけますし
夜中の故障でお店が閉まっていたら、JAFに頼む時もありますよね。
でも、月曜日休みで、基本は、10−19時はいらっしゃることは知っています。
急ぎでもないのに、夜10時に「オイル交換!」と電話したりしませんよね。だって、ずっとおつきあいもしますし。